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虫(11)_虫_江户川乱步_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:五 それ以来、彼が殺人罪を犯したまでの約五ヶ月の間、柾木愛造の生活は、尾行と立聞きと隙見との生活であったと云っても、決し
(单词翻译:双击或拖选)


 それ以来、彼が殺人罪を犯したまでの約五ヶ月の間、柾木愛造の生活は、尾行と立聞きと隙見との生活であったと云っても、決して云い過ぎではなかった。その(あいだ)彼は、まるで、池内と芙蓉との情交につき(まと)う、不気味な影の如きものであった。
 (およ)そは想像していたのだけれど、実際二人の情交を見聞するに及んで、彼は今更らの様に、身の置きどころもない恥しさと、胸のうつろになる様な悲しさを(あじわ)った。それは寧ろ肉体的な痛みでさえあった。池内の圧迫的な、けだものの様な猫撫(ねこな)で声には、彼は人のいない襖の外で赤面した程、烈しい羞恥を感じたし、芙蓉の、昼間の彼女からはまるで想像も出来ない、乱暴な赤裸々(せきらら)な言葉使いや、それでいて、その音波の一波毎に、彼の全身が総毛立つ程も懐しい、彼女の甘い声音には、彼はまぶたに(あふ)れる熱い涙をどうすることも出来なかった。そして、ある絹ずれの音や、ある溜息の気配を耳にした時には、彼は恐怖の為に、膝から下が無感覚になって、ガクガクと震え出しさえした。
 彼はたった一人で、薄暗い襖の外で、あらゆる羞恥と憤怒(ふんぬ)とを経験した。それで充分であった。若し彼が普通の人間であったら、二度と同じ経験を繰返すことはなかったであろう。いや、寧ろ最初から、その様な犯罪者めいた立聞きなどを目論見(もくろみ)はしなかったであろう。だが、柾木愛造は内気や人厭(ひとぎら)いで異常人であったばかりでなく、恐らくはその外の点に於いても、例えば、秘密や罪悪に不可思議な魅力を感ずる所の、あのいまわしい病癖をも、彼は心の隅に、多分に持合わせていたに相違ないのである。そして、その潜在せる邪悪なる病癖が、彼のこの異常な経験を機縁として、俄かに目覚めたものに違いないのだ。
 世にもいまわしき立聞きと隙見とによって覚える所の、むず(かゆ)い羞恥、涙ぐましい憤怒、歯の根も合わぬ恐怖の感情は、不思議にも、同時に、一面に於ては、彼にとって、限りなき歓喜であり、(たぐい)もあらぬ陶酔であった。彼ははからずも覗いた世界の、あの兇暴なる魅力を、どうしても忘れることが出来なかった。
 世にも奇怪な生活が始まった。柾木愛造の凡ての時間は、二人の恋人の媾曳の場所と時とを探偵すること、あらゆる機会をのがさないで、彼等を尾行し、彼等に気づかれぬ様に立聞きし隙見することに費された。偶然にも、その頃から池内と芙蓉との情交が、一段と(こまや)かに、真剣になって行ったので、その()()も繁く、彼等が夢現(ゆめうつつ)の恋に酔うことが烈しければ烈しい程、随って柾木が、あの歯ぎしりする様な、苦痛と快楽の錯綜(さくそう)境にさまよう事も、益々その度数と烈しさを増して行った。
 多くの場合、二人が別れる時に言い交わす、次の逢う瀬の打合わせが、彼の尾行の手懸(てがか)りとなった。彼等の媾曳きの場所はいつも築地河岸の例の家とは限らなんだし、落合う所も楽屋口ばかりではなかったが、柾木はどんな場合も見逃さず、五日に一度、七日に一度、彼等の逢う瀬の度毎に、邪悪なる影となって、彼等につき纒い、彼等と同じ家に泊り込み、(あるい)は襖の外から、或は壁一重の隣室から、時には、その壁に隙見の穴さえあけて、彼等の一挙一動を監視した。(それを相手に悟られない為に、彼はどれ程の艱難辛苦(かんなんしんく)()めたであろう。)そして、ある時はあらわに、ある時はほのかに、恋人同志のあらゆる言葉を聞き、あらゆる仕草を見たのである。
「僕は柾木愛造じゃないんだからね。そんな話はちとお門違(かどちが)いだろうぜ」
 ある夜のひそひそ話の中では、池内がふとそんなことを云い出すのが聞えた。
「ハハハハハハ、(まった)くだわ。あんたは話せないけど可愛い可愛い人。柾木さんは話せるけど、虫酸(むしず)の走る人。それでいいんでしょ。あんなお人好しの、でくの坊に惚れる奴があると思って。ハハハハハハハハ」
 芙蓉の低いけれど、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な笑い声が、(きり)の様に、柾木の胸をつき抜いて行った。その笑い声は、いつかの晩の自動車の中でのそれと、全く同じものであった。柾木にとっては、無慈悲な意地悪な厚さの知れぬ壁としか考えられない所のものであった。
 彼の立聞きを少しも気附かないで、ほしいままに彼を噂する二人の言葉から、柾木は、やっぱり彼がこの世の()けもので、全く独りぼっちな異人種であることを、愈々(いよいよ)痛感しないではいられなかった。俺は人種が違うのだ。だから、こういう卑劣な唾棄すべき行為が、却って俺にはふさわしいのだ。この世の罪悪も俺にとっては罪悪ではない。俺の様な生物は、この(ほか)にやって行き様がないのだ。彼は段々そんな事を考える様になった。
 一方、彼の芙蓉に対する恋慕の情は、立聞きや隙見が度重なれば重なる程、息も絶え絶えに燃え盛って行った。彼は隙見の度毎に、一つずつ、彼女の肉体の新しい魅力を発見した。襖の隙から、薄暗い室内の、蚊帳(かや)の中で(もう其頃は夏が来ていたから)海底の人魚の様に、ほの白く蠢く、芙蓉の()長襦袢(ながじゅばん)姿を眺めたことも、一度や二度ではなかった。
 その様な折には、彼女の姿は、母親みたいに懐しく、なよなよと夢の様で、寧ろ幽幻(ゆうげん)にさえ感じられた。

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