さいごの切札
魔法博士と三人の部下は、さっきから、岸壁に背中をつけて、両手を上にあげたまま、じり、じりと、横のほうへ、いざっていきましたが、黄金怪人が、しゃべっているあいだに、ころあいを見はからって、さっと走りだし、すぐそばの、まがり角の向こうへ、姿を消してしまいました。
「あっ、逃げたぞっ。」
警官たちは、すぐに、そのあとを追いました。黄金怪人も、いっしょに走りながら、
「ピストルは、おどかしにうつだけだよ。あいつを殺しちゃいけない。」
と、警官たちに、注意しました。
角をまがると、向こうのほうを、魔法博士と三人の部下が、走っていくのが見えます。バーン、バーンと、ピストルの音が、岩の廊下にこだまして、ものすごく、とどろきました。むろんおどかしですから、相手にあたるはずはありません。
それから、いくつも角をまがって、たどりついたのは、れいの地底の牢獄の前でした。
魔法博士は、明智探偵のとじこめられている牢屋の戸を、手ばやくかぎでひらいて、中にとびこむと、どこからか、するどい西洋短剣をとり出して、明智探偵の胸をねらって、いまにも、さし殺す身がまえをしました。
三人の黒覆面の部下は、小林、井上、野呂の三少年の牢屋にはいり、やっぱり、同じような西洋短剣をふりかざして、少年たちを、いまにも、さし殺そうとしています。
それをみると、警官たちは、あっと驚いて、立ちすくんでしまいました。
「さあどうだ。ピストルが、うてるならうってみろ。ピストルよりも、この短剣のほうが、すばやいぞ!」
魔法博士は、明智探偵を立ちあがらせ、その背中に、短剣の切っ先をあてがって、うしろから、おすようにして、牢屋のこうしの外に出てきました。
しかし、警官たちは、どうすることもできません。近づこうとすれば、たちまち短剣が、明智の背中にささるのです。ピストルもだめです。魔法博士は、明智のからだを警官たちのほうに向けて、じぶんはそのうしろにかくれるようにしているからです。ピストルを発射すれば、博士ではなくて、明智探偵にあたってしまいます。
魔法博士は、そうして、この場をきりぬけ、逃げだしてしまうのでしょうか? 警官隊は指をくわえて、それを見おくるほかはないのでしょうか?
「ワハハハハ……。」
そのとき、とつぜん、大わらいの声がひびきわたりました。何者ともしれぬあの黄金怪人が、腹をかかえて笑いながら、警官隊の前へ出てきたのです。
「おい、それがきみのさいごの切札か。魔法博士、きみだけが魔法つかいだと思っていると、とんだまちがいだぞ。きみのほかにも、きみ以上の魔法つかいがいるんだ。その魔法の種を、あかすときがきたようだな。さあ、見るがいい。おれの顔を、よく見るがいい。」
そういったかとおもうと、黄金怪人は、頭からかぶっていた黄金の仮面のネジをはずし、両手ですっぽりと、上にぬぎとりました。
その下から、あらわれたのは? ……もじゃもじゃの髪の毛、広いひたい、濃いまゆ、一文字にむすんだくちびる。あっ! 明智探偵です。まぎれもない名探偵明智小五郎の顔です。
じつに、とほうもないことが、おこりました。明智探偵がふたりになったのです。シャツ一枚で、魔法博士に短剣をつきつけられている明智と、黄金の仮面をぬいだ明智と、まったく同じ人間が、ふたりあらわれたのです。それが三メートルをへだてて、向かいあって立っているのです。
魔法博士は、このふしぎな光景に、ぎょっとして、立ちすくんだまま、身うごきもできなくなってしまいました。
「おい、魔法博士。この明智小五郎には、だれが見てもわからないほど、そっくりのかえだまがあることを、知らなかったのか。そこにいるシャツ一枚の男は、ぼくのかえだまだよ。ほんものの明智は、きみなんかにつかまるほど、まだ、もうろくはしていないのだ。」
金いろのよろいをきたままの明智探偵が、両手を腰にあてて、ゆうぜんとして、話しはじめるのでした。
「ぼくは、こんなこともあろうかと思って、黄金怪人の衣装を作らせておいた。ぼくは、それを持って、黒いマントに身をかくして、このやしきにしのびこんだ。そして、黄金怪人になりすまし、きみの部下の目をあざむいた。黄金怪人がふたりいるなんて、思いもよらぬことだから、きみの部下に出あっても、だれもあやしまなかった。きみが岩の廊下を歩いていると思ったのだ。
ここへしのびこんだつぎの夜なかに、ぼくは、ある部屋の窓をひらいて、ふたりの人間を、そっと、中に入れた。そのひとりが、そこにいるぼくのかえだまなのだ。その男は、きみも知っているとおり、人造人間になりすましてかくれていた。もうひとりは子どもだった。それがどんな子どもだったかは、いまにわかるときがくるだろう。
おい、魔法博士、きみは井上と野呂のふたりの少年をかどわかし、そのかえだまをつくって、グーテンベルクの聖書を盗みだした。しかし、それはきみのほんとうの目的ではなかったのだ。目的はぼくをとりこにして、きみの部下にすることだった。そこで、まず小林君をとらえ、ぼくが助けだしにくるようにしむけた。
ぼくはきみの計略にかかったと見せかけて、じつは、その裏をかいたのだ。かえだまの明智のほうを、牢屋にいれさせ、安心させておいて、そのすきに、警官隊をひき入れた。警官隊はここにいるだけじゃない。裏の洞穴の外にも、建物のまわりにも、そのほか、あらゆる出入り口に、何十人の警官が見はりをしている。もうアリのはい出るすきもないのだ。