「ハハハ……、まさか」
私が笑うと、男はふと真面目になって、
「イイエ、本当です。猿って奴は、そういう悲しい恐ろしい宿命を持っているのです。ためして見ましょうか」
男は云いながら、その辺に落ちていた木切れを、一匹の猿に投げ与え、自分はついていたステッキで、頸を切る真似をして見せた。
すると、どうだ。この男よっぽど猿を扱い慣れていたと見え、猿奴は木切れを拾って、いきなり自分の頸をキュウキュウこすり始めたではないか。
「ホラね、もしあの木切れが、本当の刀だったらどうです。あの小猿、とっくにお陀仏ですよ」
広い園内はガランとして、人っ子一人いなかった。茂った樹々の下陰には、もう夜の闇が、陰気な隈を作っていた。私は何となく身内がゾクゾクして来た。私の前に立ている青白い青年が、普通の人間でなくて、魔法使かなんかの様に思われて来た。
「真似というものの恐ろしさがお分りですか。人間だって同じですよ。人間だって、真似をしないではいられぬ、悲しい恐ろしい宿命を持って生れているのですよ。タルドという社会学者は、人間生活を『模倣』の二字でかたづけようとした程ではありませんか」
今はもう一々覚えていないけれど、青年はそれから、「模倣」の恐怖について色々と説を吐いた。彼は又、鏡というものに、異常な恐れを抱いていた。
「鏡をじっと見つめていると、怖くなりやしませんか。僕はあんな怖いものはないと思いますよ。なぜ怖いか。鏡の向側に、もう一人の自分がいて、猿の様に人真似をするからです」
そんなことを云ったのも、覚えている。
動物園の閉門の時間が来て、係りの人に追いたてられて、私達はそこを出たが、出てからも別れてしまわず、もう暮れきった上野の森を、話しながら、肩を並べて歩いた。
「僕知っているんです。あなた江戸川さんでしょう。探偵小説の」
暗い木の下道を歩いていて、突然そう云われた時に、私は又してもギョッとした。相手がえたいの知れぬ、恐ろしい男に見えて来た。と同時に、彼に対する興味も一段と加わって来た。
「愛読しているんです。近頃のは正直に云うと面白くないけれど、以前のは、珍らしかったせいか、非常に愛読したものですよ」
男はズケズケ物を云った。それも好もしかった。
「アア、月が出ましたね」