不思議な帆船
ある夏休のことでした。
小学校六年生の琴野一郎、前田保、西川哲雄の三少年は、琴野君のお父さまにつれられて、九州の長崎市へ旅行しました。
三少年のお家は東京の芝区にあって、お父さん同志が大へん親しくしていらっしゃるので、まるで親戚のように、たえず行き来をしている間柄でした。
三人とも一学期の試験の成績が、これまでよりもずっとよかったものですから、その御褒美にというので、ちょうど琴野君のお父さまが、長崎の親戚に御用があって旅行なさるのをさいわい、兄弟のように仲よしの三少年を、長崎見物につれて行って下さったわけでした。
長崎港は日本で一番早くひらけた、外国との取引の港として、国史や地理の時間に、いろいろ面白いお話を聞いていましたので、三人はもう大喜びです。
少年たちは、長崎に着きますと、琴野君の親戚のお家に泊って、そこの小父さんの案内で、毎日市内を見物してあるきましたが、町には東京などでは見られない古い洋館や支那人の家がならんでいて、西洋人や支那人がたくさん歩いていますし、すぐ町つづきの港には、支那や台湾へ行く大きな汽船が毎日出入りしていますし、昔のオランダ屋敷の跡だとか、古い古いキリスト教の会堂だとか、支那人の建てた妙な形の寺院だとか、どれもこれも珍しいものばかりで、なんだか外国へでも来たような気持がするのでした。
さて三人が長崎へ着いて五日目のことです。もう一とおり市内の見物をおわって、近いところならば、少年たち三人だけで遊びに行ってもいいというお許が出ていましたので、夕方から、子供ばかりで散歩に出たのですが、三人の足はいつとはなく、海岸の桟橋の方へ向いていました。三人はそれほど船が好きだったのです。広い桟橋に横づけになっている、大小さまざまの汽船が、なんだかなつかしくて仕方がなかったのです。
古めかしい西洋館の建並んだ町つづきに、汽車の駅のような建物があって、その広い待合室には、台湾や、支那の上海などへ旅行する人達が、たくさん集っていて、ガヤガヤと、海の向こうの珍しい町の話などをしているのです。そこを通りぬけますと、すぐにもう青々とした広い海で、その岸にコンクリートの白い道が、目もはるかにズーッとつづいていて、そこへ黒いのや黄色いのや、いろいろの形の船が、横づけになって、日に焼けた船員や水夫達が、行ったり来たりしているのです。
本当は係の人の外は、桟橋へ出てはいけないのですが、三人は子供のことですから、ついそれとも知らず、いつの間にか、大きな汽船の横づけになっている白い道をあるいていました。
海の匂、汽船のペンキの匂、石炭の煙の匂などがゴッチャになって、いかにも港らしいなつかしい匂が、あたりにみちています。全体が真黒で、水に近いところだけ、真赤に塗ってある、まるで高い高い壁のような汽船の横腹、その前を、海軍将校のような金モールの徽章の帽子をかぶった船員が、大きなパイプをくわえて歩いて来るかと思うと、腕に入墨のある西洋人の水夫が、白い水夫帽を横っちょにかぶって、妙な歌をうたいながら通りすぎます。そういう景色が、どれもこれも、三人の少年にはなつかしくてたまらないのでした。
三千トンもある黒い支那通いの船の次には、その半分ほどの大きさの、全体を黄色くぬった、外国の貨物船らしいのが、横づけになっています。見上げますと、その高い甲板のはしに、一人の西洋人の水夫が腰かけて、足をブランブランさせながら、煙草をすっていましたが、下を通る三人の少年を見て、ひょいと挙手の礼をして、にっこり笑って見せました。三人も思わず手をあげて、にっこり笑って、それにこたえましたが、そんなことが、少年たちの気持を一そうウキウキさせるのでした。
もう家へ帰ることなど、すっかり忘れて、どこまでも白い道をあるいて行きますと、黄色い汽船の次に、それよりは又少し小さい黒い貨物船がいて、その次には、今までの船よりはずっと小さい、めずらしい型の帆船が横づけになっていました。
帆はすっかりおろしてありましたが、帆桁のいくつもついたマストが三本立っていて、その頂上からたくさんの綱が、蜘蛛の巣のように張ってあって、縄梯子のようなものもかかっています。そして、帆船のくせに、その船の真中には、細い烟突が一本ニューッと突出ているのです。風のない時には、蒸気機関ではしる、補助機関つきの帆船なのでしょう。
「ヤア、すてき、トラファルガルの海戦の絵にあるような船だねえ」
「ウン、ほんとだ。いつか見た商船学校の練習船もこんな形だったぜ」
「ワア、ごらんよ、ごらんよ。恐しい怪物がいるよ」
「どこに? どこに?」
「舳だよ。舳のかざりだよ」
いかにも、その帆船の舳には、人間とも動物ともわからない、奇妙な姿の彫りものがついているのです。頭に角があって、目がまん丸で、口は耳までさけて、そのくせ人間のような姿をした、怪物の半身像です。
三人はその不思議な彫刻にすっかり夢中になって、いつまでもそこに立止っていましたが、すると、一人の水夫がそばへよって来て、にこにこしながら、少年たちに話しかけるのでした。
「あれかい? あれはこの船のマスコットだよ。あいつが、ああやって目玉をむいている間は、この船は決して沈むようなことはないのさ」
縞模様のある薄いシャツに白ズボンをはいた、三十四五歳のやさしい顔の水夫でした。
「じゃ、小父さんこの船の人かい」
「ウン、こう見えても、小父さんはこの船の水夫長なんだぜ。この船のことなら、船長よりもよく知っているんだ」
「じゃ、この船日本の船なんだね」
「そうとも。日本の船とも」
水夫長と名のる男は、目を細くして、いやに力を入れて答えました。
「これからどこへ行くの?」
「南洋だよ。南洋貿易をやっているのさ」
「ねえ、小父さん、この船の中も、やっぱり普通の汽船みたいになっているの?」
「ウン、まあそうだがね。しかし、ちっとは変ったところもあるよ。なにしろ今時めずらしい三檣スクーナーだからな。君たちが聞いたこともないような妙なものも、いくらかあろうっていうもんだ」
それを聞きますと、三人はもうたまらなくなって来ました。
「ねえ、小父さん、僕たちに船の中を見せてくれない? ちょっとでいいんだから、ねえ、小父さん」
「ワハハハハハハ、そう来るだろうと思ったよ。ウン、よしよし、見せてやるよ。じゃ、君たち、小父さんのあとからついて来な」
船の横腹に、四角な船艙の入口がひらいていて、桟橋から厚い渡板がかけてあります。水夫長は先に立って、その渡板を渡り、薄暗い船の中へ入って行くのです。三少年は、フワフワ動く渡板をふんで、そのあとにつづきました。
せまい急な階段をのぼって、上甲板に出て、あちこちと、めずらしい道具などを見せてあるいたあとで、水夫長は三人をつれて、又別のせまい階段をおり、小さな船室に入りました。
「まだいろいろ見せるものがあるがね、マア、ここで一ぷくしよう。ここが俺の部屋だよ。どうだい可愛い部屋だろう。ところで、君たち喉がかわかないかね。コーヒーを一ぱいごちそうしよう。ちょっと待っていたまえね」
水夫長はひとりでしゃべって、少年たちが何も答えないのに、そのままそそくさと、どこかへ出て行きましたが、やがて、銀色の盆にコーヒーの茶碗を四つのせて帰って来ました。
「サア、えんりょなくやりたまえ。船のコーヒーは、とてもうまいぜ」
少年たちはすすめられるままに、コーヒーを受取って、三人ともそれを飲みほしました。何だか普通のコーヒーよりにがいような気がしましたが、喉がかわいていたものですから、ひとたらしも残さず、飲んでしまったのです。
「ハハハハハハハ、みんな飲みっぷりがいいぜ。一息にやってしまったね。サア、もうちっとここで休んでね。それから面白いものを見せて上げるよ」
水夫長は何か意味ありげに言って、にやりと妙な笑い方をしました。そして、少年たちの様子をじろじろとながめているのです。
三人の少年は、小さな木の椅子に腰かけて、水夫長の顔を見ていましたが、そのにやにやしている顔が、スーッと遠くなって行くように思われました。そして、あたりが靄でもかかったように、ぼんやりして、それがだんだん暗くなって、地の底へでも落ちこんで行くような気がしたかと思うと、そのあとはもう、何が何だか少しもわからなくなってしまいました。
つまり、三人が揃いも揃って、居眠をはじめたのです。はじめは椅子にかけたままコクリコクリやっていましたが、やがて、次々と椅子からすべり落ち、床の上にグッタリとなって、鼾さえ立てはじめました。
「ウフフフフフフ、うまく行ったぞ。眠薬の利目は恐しいもんだな。だが、食料品積みこみのついでに、こんな可愛い子供が三人とは、悪くない獲物だぞ。これで又一もうけ出来るというもんだ」
水夫長と名のる男は、そんな恐しいことをつぶやきながら、薄気味悪くにやにやと笑って、そっと部屋を出ると、外からドアをしめて、カチンと鍵をかけてしまいました。