家斉は湯を使っていた。
湯殿は、間口二間、奥行二間あまり、四方はハメ板で、天井ともすべて檜の糸柾《いとまさ》である。板の間も同じく檜の厚板で、風呂は白木の小判形の丸桶になっていた。
家斉は湯につかりながら、ぼんやり何か考えていた。とりとめのないことばかりである。湯は好きで、長い方であった。
傍には御小納戸の湯殿掛が筒袖襦袢を着て控えている。これは絶えず大御所の好みに合せて湯加減を測らねばならない。脇に白木綿の糠袋《ぬかぶくろ》が七、八個用意してあった。
家斉が湯音を立てて風呂から上った。風呂桶に接して四尺四方もある栗の台がある。家斉は蒸れた身体で台の上に坐った。
待っていた湯殿掛は、糠袋で大御所の顔、胴、手足を洗ってやる。家斉は幼児のように眼を瞑って洗われている。糠袋は身体の部分が違う毎に次々と取り替えられた。たとえば、一度顔を洗ったら、同じ糠袋で胴も手も洗うことは出来ない。
家斉は断片的なことを考えていた。相変らず漠然とした思考だ。過去の想い出もあれば、空想もある。屈託の無い人間の考えだった。
そのうち、家斉は、ふと気が遠くなるような感じがした。眼の前の檜のハメ板が瞬間に少し黝《くろず》んできた。
(湯に酔ったかな)
と思った。手をとられて皮膚を擦られていたが、そうすると余計に気持が悪くなるようなので、
「もうよい」
と止めさせた。湯殿掛が不思議そうな顔をして中止した。ふだんはお洒落だから丁寧に洗わせる方なのである。
家斉は、気分の不快が鎮まるかと思って、しばらくじっとしていたが、胸の動悸が高くなり、嘔き気さえ催してきた。
これはいけない、と自分でも思った。
起ち上りかけると、湯殿掛はあわてて、別に用意の湯を直径八、九寸もある丸柄杓で背中からそそぎかけた。
余計なことをする、と叱ろうとしたが口に出すのが大儀であった。そのまま、ふらふらと上り場に入った。
六畳敷の上り場には小姓が浴衣を十枚ばかり持って控えていたが、大御所の裸に手早く一枚をかけた。それをすぐにとって新しいのを一枚かけ、肌の乾くまで何枚も掛けるのである。手拭いのようなものを使用することはないのである。
家斉はそこに立っていることが苦痛になり、まだ肌の乾かないうちに、歩こうとした。小姓があわてて浴衣をもって動いた。
家斉は、小壁の地白に藍の雲形模様が急に傾いたと思った。
小姓の叫ぶ声が僅かに耳に残った。
御《お》上場《あがり》に仆《たお》れた家斉の身体は、小姓の急報で駆けつけた医師や坊主、側衆の手で抱え上げられ、お鈴廊下を通って、西丸大奥の御小座敷に運び入れられた。
この御小座敷は、普通、大御所が奥入りして休息するところで、名称は同じだが、お手つきの中臈と語り合う部屋とは違う。十畳ばかりの小部屋だが、西の溜りに御次の間がついている。
西方の上段に急いで床を敷き、家斉を寝かせた。法印中川常春院が許されて、じかにお脈をとる。法眼栗本端見、同じく河野良以、吉田長禎など五、六人の医者が家斉の身体をとり巻いた。
家斉は意識不明で昏睡《こんすい》をつづけていた。おそろしく大きな鼾《いびき》をかいている。
急を聞いて、真先に来たのはお美代の方であった。襠《うちかけ》を踏みそうな足どりで、よろけて走ってくると、御小座敷の入側《いりがわ》に倒れるように坐った。
この時は、医師以外、お側の女中やお坊主しか居ない。お美代の方は起ち上り、膝で歩いて黒塗の框《かまち》の下まで近づいた。真蒼な顔をして肩で息をしていた。
「ご容体は?」
と急《せ》き込んで医師に訊いた。
常春院が脈を栗本端見と交替して、お美代に一礼すると、静かに云った。
「ご安静第一でございます。ただ今のところ、ご憂慮申し上げるほどではなきかと存じまするが」
お美代の方は泪《なみだ》を流して家斉の顔を凝視した。家斉は知らぬ顔をして眼を閉じ、鼾を発している。
「ご病名は?」
「されば」
常春院は小さな咳払いをして、
「卒中のように拝しますが、未だ確《しか》とは……」
卒中と聞いて、お美代の方から血の気がひいた。
西丸大奥はこの不意の大事突発に大そうな騒動である。いと、八重、るり、そで、蝶、とせ、などのお手つきの中臈が十数人、長局から走り出てかけつけ、御小座敷のお入側に群れる。年寄、中年寄、中臈、御客|会釈《あしらい》などの女中はお廊下にひしめいて、早くも泣き声を上げていた。
この時になっても、まだ御台所の姿は現れなかった。急な報らせは一番に届いているはずだが、どういうものか一向にやって来ない。
急報は八方に飛んだ。先ず、本丸の将軍家に申し上げる。老中・若年寄は退出のあとだったが、それぞれ屋敷に急使が立つ。
将軍|家慶《いえよし》は折から本丸の奥で夕食中であったが、箸を投げ出し、供揃いも待たずに、足袋はだしで西丸へ来たという。
「表|締《しま》り、表締り」
これも急を聞いて登城した側衆水野美濃守が、狼狽《ろうばい》している奥役人どもに早くも下知していた。
大御所の病間では、現将軍の家慶との対面が行われている。やがて急を聞いた老中、水野越前守、真田信濃守、堀田備中守などが急登城でやってきた。
大奥には、普通、男子の出入は禁じられている。用ある者は、せいぜい御広敷までだ。しかし、大御所が俄かに仆れた現在は特別例外である。老中はじめ主だった諸役人を立入らせねばならない。
側衆水野美濃守忠篤が、
「表締り、表締り」
と叫んだのは、このためである。表締りとなると、奥女中どもは悉く追い出される。
紀伊、尾張、水戸の御三家が不時の登城をする。つづいて加賀の前田宰相、安芸の浅野少将が登城して西丸に急ぎ参向する。この二家は大御所がお美代の方の腹に生ませた姫を輿入《こしい》れさせている。
子福者の家斉は子女を縁組みさせた大名が多い。三家をはじめ、仙台の伊達、越前の松平、会津の保科、高松の松平、佐賀の鍋島、鳥取の池田、萩の毛利、津山の松平、姫路の酒井、館林の松平、阿波の蜂須賀、川越の松平、明石の松平、そのほかに一橋、清水がある。これらの外戚に加えて、在府の大名達が大御所の急変を聞いて騒動したが、何ぶんの沙汰あるまではと各々在邸のまま、いつでも登城出来るように待機した。
大御所といえば隠居である。しかし、何度もいうように、実権は現将軍の家慶よりも家斉にある。諸家の動顛はそのためだ。
その家斉は、御小座敷で二刻近く眠っていたが、やがて鼾が止むと、眼を開けた。視界の定まらぬ濁った眼である。
脈を左右からとっていた医師が狂喜した。
「お気づきでございましょうか?」
中川常春院が恐る恐るのぞき込んだ。
家斉の顔色は、まだ普通でない。どろんとした瞳《め》で、天井の地白に銀泥の花唐草を茫乎《ぼうこ》として眺めていた。
小さな動揺が傍にいる家慶をはじめ、控の間に詰めている老中や外戚の大名たちの間に起った。
家斉は溜息のようなものを洩らすと、急に顔をしかめて、医師にとられている手をふりほどこうとした。それから大声で叫んだ。
「頭が痛い。割れるようじゃ」
はっきりとしてはいた。言語の障害はない。さてはご回復かと諸人眼を輝かす。
家慶が見舞の言葉を何か云いかけたが、家斉は眼もくれず、
「頭が痛い、頭が痛い」
と繰り返す。
このころ、中野石翁が舟で登城して来た。
いつもの悠揚な態度と違って、さすがにあわてていた。
家斉の病名について医師団の見解が決定した。
「卒中風《そつちゆうふう》」である。
ただし、これについて主治医である中川常春院の「所感」が付いた。
「そもそも卒中風というは、食事胃を塞ぎ、暑寒体を冒《おか》し、元気これがために鬱渇し、悪血《おけつ》虚に乗じて衝逆し、気道を閉絶するに由り起ります。恐れながら大御所様、多年に亙る御政道御仕置きのお疲れより出たことと拝察いたします。さりながら、卒中風によく見られる口禁不開、舌強、言語不正、失音、身体不仁などの徴候が上様に少しも拝しませぬのは、御威光の然らしめるところで、恐れ入ったる次第にございます」
中風で倒れはしたが、半身不随などの障害は起らないというのである。
これについて家慶をはじめ重臣たちから質問があった。
「御《お》頭脳《つむり》の方は如何《いかが》であろうか?」
これが最大の懸念であった。脳に支障があるのと無いのとでは、家斉が廃人になるかどうかの岐《わか》れである。
「下賤の例《ため》しを以て、上様にくらべ奉るのは恐れ入ったことにございますが、今までの相似たる病症からみまして、いささかもお変りなきことと存じます」
一同、これを聞いて安堵した。
もっともこの安心は一様でない。最も欣喜したのが林肥後守、土岐豊後守、水野美濃守などの側近衆である。己らの位置が安泰であるからだ。現将軍家慶の本丸側は内心落胆したであろう。家斉が健在である限り、いつまで経っても実権は廻って来ず、わが世の春が遠いのである。
だが、そんなことは内部の事情で、
「まず、天下のために祝着《しゆうじやく》」
と複雑な慶賀を表した。
ただ、家斉夫人寔子だけは、一番遅くに病床を見舞って、一番早くに己の部屋に引き上げた。
水野美濃守忠篤がお廊下までお見送りすると、夫人はじろりと見て、
「美濃、世話じゃな」
と一口いった。
美濃守が礼を云われたものと勘違いして、
「は、恐れ入りまする」
とお廊下の板に額をすりつけると、
「向後は上様のお世話甲斐が一段とありそうじゃな」
と皮肉たっぷりの短い言葉が頭上に落ちた。
美濃守は、内心を見すかされたように、ぎょっとした。どうも夫人は苦手である。
「美濃守様、御老中がお呼びでございます」
と坊主が呼びに来た。
これは西丸老中林肥後守のこと、先刻、登城した中野石翁と談合しているのを美濃守は知っていた。
美濃守が導かれた部屋は十畳敷ばかりの広さで、西丸老中の林肥後守と側用人美濃部筑前守とが中野石翁と膝を突き合せるようにして対座していた。ほかには誰も居ない。
石翁は大きな坊主頭を向けて、美濃守を手招きした。
美濃守が一礼してその座に加わる。不思議なことに、隠居の身の石翁の大きな図体が上座で、西丸老中の肥後守がその下に着いている。お美代の方の養父という勢威に、家斉の相談相手といわれる箔《はく》が重くついているのだ。
「大御所様のご容体がさほど大事に至らずに済んだのは、まずめでたい」
石翁は美濃守の顔を見て云った。
「左様でございます。ご隠居様も急遽のご登城お大儀でございましたが、大御所様もわれらがお案じ申し上げたほどでなく、祝着に存じます」
美濃守は応えた。
「しかし、美濃殿、医師共の診断によると、大御所様は卒中風とのこと、幸い言語や手足のご不自由は無かったものの、在来通りのご健康まではお望み出来ぬということじゃ」
林肥後守が細い声で云った。
「されば、何ぶん御|齢《よわい》六十八に渡らせられます故、大事の上に大事をお願い申し上げねばなりませぬ」
美濃守が云うのを、
「いやいや、われらが申すのはそのことだけではない」
肥後守が遮《さえぎ》った。
「大御所様、長きご不快に渡らせられると、ご政道にとかく不安が来るというものじゃ。そこにつけ込み、ご本丸が動いて来るのは必定。すでに大御所様のご容体をみて、ご逝去間近しと早合点したものは、医師の言葉を聞いて落胆したであろう。将軍家をはじめ本丸の大奥女中ども、表では越前あたりがそうであろうな」
越前とは、老中水野越前守|忠邦《ただくに》のことである。
「しかし、たとえ御病が篤《あつ》からずとはいえ、ご病状が永びけば、ご本丸ではご養生第一を申し上げて、次第にわが方にお仕置の威光を加えるよう企らむに相違ない。そうなっては、われらにとって一大事、ご隠居様はそれを懸念して居られる」
傍の美濃部筑前守は、首を合点合点させた。
石翁は赭《あか》ら顔にかすかな笑いをたたえ、
「肥後殿が申された通りじゃ、ご本丸では長いこと痺《しび》れを切らしているでな」
と厚い唇を動かした。
「実のところ、大御所様のこの度の御急変にはわれらも驚愕《きようがく》| 仕《つかまつ》った。いつまでもお元気に渡らせられるものと思い、お日頃のお身体を恃《たの》みすぎたでな。されば、美濃殿、かねがね、われらで談合していた一件を、早々に固めねばならぬぞ。もっと近く寄られい」
中野石翁を首座として、林、美濃部、水野の四人が人けの無い座敷で額をあつめ密議した内容は何であろうか。
十二代将軍家慶は、大御所家斉の次子である。凡庸では決して無かったが、家斉が生存している間は、将軍とは名ばかりで実権がない。すでに四十八歳であった。政令決裁、悉《ことごと》く大御所から出るのを面白く思っていなかった。
それで家斉百歳の後は、将軍としての実権を回復するのが念願である。この願望は家慶の側近や本丸大奥も同じことだ。
そうなると、今まで家斉の威勢のかげで陽の目を見ていた家斉側近は第一に追放されてしまう。これは一大事である。彼らとしてはいつまでもわが世の春を謳《うた》っていたいのである。
同じことはお美代の方にもいえる。これはもっと痛切だ。昨日までの栄華の報いで、本丸から虐待されることは分り切っている。
その災難は養父の中野石翁に及ぶものである。家斉の話相手というのが一枚看板であった。諸事の請託、すべて向島の隠居(石翁)を通さねばとあって、諸大名が贈った賄賂《わいろ》だけでも莫大なものだ。
平戸藩主、松浦静山の「甲子夜話《かつしやわ》」に、次の記事がある。
「或人、売薬の功能書を示す。
立身昇進丸。大包金百両。中包金五十両。小包金十両。
一、かねがね心願を成就せんとおもふ事、この薬、念を入れて用ゆべし。
沢瀉《おもだか》 尤も肥後《ヽヽ》の国製法にてよろし。
奥女丹《おくじよたん》 このねり薬持薬に用ひ候へば、精力を失ふことなく、いつか功能あらはるるなり。
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(頭註 奥女丹の上、一本大の字あり)
隠居散《いんきよさん》 この煎薬《せんやく》酒にて用ゆ。
(頭註 この散薬は酒を忌む。されど別煎に用ゆるか)
右の通り御用ひ候て、縁談、滞府、拝借の外、定り候|例《ためし》なき事にても、即効神の如し」
[#ここで字下げ終わり]
つまり、林肥後守と、家斉つき大奥女中と、中野石翁の専横ぶりを皮肉っているのだ。
家斉は仆れたが、幸い、すぐに危篤というほどではない。それで死なぬうちに、何とか己たちの勢力の安泰を画そうと石翁はじめ四人は相談している。
将軍家慶は、彼らにとって苦手である。その世子、家定は十七歳だが身体が弱い。
もし、家斉亡きのち、家慶を大御所にまつり上げ、意志も身体も弱い家定を将軍にすれば、彼らにも望みがないでもない。
問題は、その次の将軍の後つぎである。
お美代の方の生んだ女《むすめ》が、加賀の前田と安芸の浅野に縁づいて、男子を挙げている。
このような線をたどると、いま、中野石翁や、林、美濃部、水野の密議の内容の想像がつくのである。
密議は一刻近くかかって済んだ。どのような相談がまとまったか、四人の顔には晴れ晴れとしたものがある。
「どれ、拙者は今一度、大御所様をお見舞申し上げて下城いたそう」
石翁はそう云うと肥えた身体を御小座敷の方に運んで行った。後から見ても大入道である。
林肥後守と美濃部筑前守とが連れ立って御広敷の方に行こうと起ち上るのを、水野美濃守は肥後守の袂《たもと》をひいた。
「肥後殿、ちとお耳に入れたいことがござる」
美濃部筑前守だけが遠慮したように、御免、といって先に去った。
肥後守は座に坐り直った。小さい眼が吊り上り、反歯《そつぱ》だから老狐のような感じがした。美男の美濃守とは対照的である。
「何じゃな?」
「いや、つかぬことをお訊きするが」
美濃守は云った。
「貴殿は、島田又左衛門なる旗本をご存じか?」
「島田又左衛門……?」
肥後守は名前を訊き返して、すぐに判ったという顔をした。
「存じておる」
「ははあ、ご存じで。して、どのような人物ですかな?」
「虫の好かぬ男じゃ」
肥後守は実際に顔をしかめた。
「もと、御廊下番頭であったが、何かと拙者の指図に楯《たて》つく気配が見ゆる故、お役を召し放した。融通の利かぬ偏屈者でな、同僚との間も円滑には行かなかったようじゃ。評判があまりよろしくない故、左様な処置をとったが……」
と彼は美濃守の顔を見た。
「その島田又左衛門がどうかしたといわれるのか?」
「眼放しの出来ぬ男と申し上げたい」
美濃守が云ったので、肥後守の顔色が俄かに引き締った。
「ほう、どのような……」
「西丸大奥に胡散《うさん》な女中を一人見つけました。で、その女中の請け親を調べたところ、それが島田又左衛門という名でござる」
「うむ、うむ」
「それで、その女中の宿下りのとき、島田の屋敷を探らせると、女中は果して島田の屋敷に行って居る。請け親だから、これは仔細はないが、話はこれからじゃ。その女中と島田とはやがて駕籠を傭《やと》っていずれかに行った。拙者は北町奉行に頼んで、その手の者に調べさせました。その報告によると、いや、肥後殿、何処だと思われる?」
「さあ」
「寺社奉行脇坂淡路守の下屋敷じゃ」
聞いた肥後守の顔色が変った。
「なに、脇坂の屋敷だと?」
林肥後守の小さい眼がきらりと光った。
「左様、これは篤《とく》と見届けた者の報告でござる」
美濃守が答えると、肥後守は彼の顔を見つめた。
「淡路が、また、なにかやろうとしているのか?」
「延命院一件で世間の評判を得た男ですからな、人間は評判を得ると、とかく図に乗りたがるものです」
「しかし、島田又左衛門が淡路を訪ねたというのは?」
「島田が伴れて行った奥女中でござる、問題は」
「その奥女中がどうしたというのだ?」
「女中の名は、お城では登美と申すが、実の名は縫といって又左衛門の義兄の娘じゃそうな。ここまでは奉行所附の与力に調べさせました。が、われらが知っているその登美なる女中はもとお半下《はした》部屋に奉公したる女、それが去る三月に図らずも手柄を立てました」
美濃守は話し出した。
「肥後殿、この春の吹上の花見に、中臈多喜の方が、桜の枝に短冊を結ばんとして踏台から足を滑らせ、懐妊の身で転倒したのがもとで亡くなられましたな?」
「うむ、そのことなら存じている」
肥後守は答えた。
「そのとき、多喜の方に踏台をさし上げたのが登美、すなわち又左衛門の縁故に当る縫です」
「うむ、なるほど」
「登美は、図らずも多喜の方を仆した訳でござる。かねて多喜の方を快からず思われておられたお美代の方様はひそかに満足に思召し、いや、これは拙者の当て推量だが」
肥後守はそれに黙ってうなずいた。
「とにかく、登美はお美代の方様に気に入られ、菊川殿の部屋附に出世いたしました。ここまでは、さしたることではない。肥後殿、不思議なのは、その登美が何で密かに脇坂淡路の門を叩いたか、でござる」
「ううむ」
肥後守は唸った。
「淡路は大奥女中衆の落度を何とかして捉《とら》え、今一度、世間に功名顔をせんとする所存、その懐にとび込む登美の量見は云わずと知れて居る。つまり、脇坂淡路の廻し者、大奥女中の動静を逐一報告する役目と思います。この間に、島田又左衛門が一枚加わっている」
肥後守の眼は、話のすすむにつれていよいよ光った。
「こう考えると、登美が多喜の方を転倒させたのは、お美代の方様に近づき、そのお気に入り女中衆の様子を探らんとする企みでござる」
「まことに、よくお気がつかれた」
と肥後守はうめくように云った。
「早速に、町奉行に手を廻させて、その辺のところを調べさせたのは、さすが貴殿らしい機転の利きようじゃ」
彼はまず美濃守の周到を讃《ほ》めて、
「しかし、機転といえば、登美がさし出した踏台で、よくぞ多喜の方の足がうまうまと滑ったものだな?」
と怪訝《けげん》な顔をした。
「さ、そこでござる」
美濃守は一膝のり出した。
「これは誰が考えても不審だが、あの時は偶々《たまたま》それが起ったと皆が思い込んでおりました。が、よく考えてみると、あまりに見事な多喜の方様の転げよう、ちと腑に落ちぬとはあとで気がつきました」
「うむ、うむ」
「そこで、あの騒ぎのすぐあと、踏台を見ようと存じたが、その場では見当りませなんだ」
「無かったのか?」
「左様、あの時は多喜の方様の介抱で女中どもは混乱しておりました。その間に踏台を片づける余裕などはまず考えられぬ。さすれば、これを持ち去ったのはそれを他に見られてはならない者の仕業、こうは考えられぬか?」
「道理じゃ」
「拙者は、はっとなった。そこであとからその女中の名前を訊いて、登美と承知し、さらに島田又左衛門が請け親と分りました。拙者の本気な探りがそれから起ったわけです」
「うむ」
肥後守は眼をむいた。
「それで、踏台を持ち去ったのは、登美の仕業かな?」
「まずその辺でしょうな」
「しからば、登美を糺明しては如何《どう》じゃ?」
「それは易《やさ》しいことだが、少々、拙《まず》い」
「はてな」
「それほどの強《したた》か者、容易に口を割る道理がありませぬ。それよりも、動かぬ証拠を突きつけて白状させた方がよろしかろう」
「だが、その証拠をどうして見つけるのじゃ?」
「踏台ともなれば、大きさから申してそうやすやすと滅多な場所にかくせる訳でもありませぬ。またお城の外にも持ち出せぬ。必ず大奥の何処かに在るか……」
美濃守は次の言葉に力を入れた。
「吹上《ふきあげ》のお庭のいずれかに匿《かく》したかと存じます」
「吹上だと?」
「左様、それが一番見込みが強い。咄嗟の場合の隠し場所は、お庭の人目の届かぬ場所か、お茶屋の縁の下と思われるが、今はそれも分らぬ」
「それでは、登美なる女を大奥よりつまみ出そうではないか」
肥後守の面上には、怒りと不安とが漂っている。
美濃守は手でそれを抑えた。
「さ、それは手前も考えぬではなかったが、あまり上策とは申せぬ」
「はて、どうするのじゃ」
「されば、しばらく気儘に泳がせて置きまする。向うは、してやったりとこそこそと動き廻るに相違ござらぬ。淡路への通謀も必ずある。そこを抑えれば、両者一断でござる」
「なるほど、目的は淡路じゃな」
「左様。たかが知れた女ひとりはどうでもよろしい。これは餌でござる。淡路守を釣り上げるな」
肥後守は美濃守の眼を見た。冷たいが、思慮ありげな瞳《め》である。
「しかし、美濃殿。それは上策だが、大奥女中の行儀があまり外に洩れるのも痛し痒《かゆ》しじゃでな」
肥後はまだ不安そうだった。
「大事ない。たとえ少々のことが知れても、骨のあるのは脇坂淡路ただひとり、余の者に何が出来ましょうや」
「さすがの貴殿も、淡路はえらく煙たく見ゆるな」
「肥後殿」
美濃は強《こわ》い眼つきをした。
「淡路の目的は、ただ大奥女中衆の行儀取締りを行い、再度、世間の評判を呼ぼうためだけではござらぬぞ」
「なに?」
「淡路はどうやら我らの様子に眼をつけているようじゃ」
「それは、まことか?」
肥後守の吊り上った眼が光った。
「嘘とは思えぬ節がある。奴め、いろいろと探りを入れているらしい。これは手前の推量だが」
「うむ」
「淡路は御本丸老中の水野越前あたりとひそかに気脈を通じているのではないか」
「では、越前から上様(家慶)に申し上げる魂胆か」
「それもある。しかし、もそっと苦手の別なお人が居られます」
「誰じゃ?」
「大御所|御台《みだい》様でござる」
林肥後守はそれを聞くと、表情に動揺が来た。かすかな惧《おそ》れさえみえる。
「それは一大事。美濃殿、どうする?」
肥後守も大御所夫人が怕《こわ》い。お美代の方の息のかかった者は、すべて夫人に憎まれている。その顔色を眺めて、美濃守は云い出した。
「されば、大御所様ご不例中には拙者だけが御病床に近侍し、余人のお目通りを防ぐ所存。これが一つ」
家斉病中は、余人を一切、病床に近づけず、美濃守ひとりで看侍すると彼は云った。
「これは隠居様(中野石翁)からの指図でもござる」
「結構だ。邪魔者を防ぐ良策だな」
肥後守は深くうなずいた。
「次には、なるべく早く、例のお墨附を頂戴するように致したい」
美濃守は一段と声をひそめて云った。この時、両者の間は、殆んど額が触れ合わんばかりであった。
「そのこと、そのこと。それが何より肝要じゃ」
肥後守は熱心に賛意を表した。
「大御所様ご不例は軽微とは云い条、恐れながらご老齢と申し、また卒中風は再発し易い病気の由。二度目に起ると生命を絶つそうな。さらば、大御所様|大漸《たいぜん》(危篤)となられてからは万事手遅れ、今のうちにお墨附を頂くこと第一じゃ。それさえあれば、御本丸がいかに策動しようとこっちのもの。越前も淡路も口惜しがるばかりであろう」
「肥後殿の申される通りだが、ただ今のところはそう手放しに安心しても居られませぬ」
美濃守は相手の俄かの楽観ぶりを抑えるように云った。
「お墨附のこと、また、本郷への筋も、向うはまだ気づいておりませぬ。そこまではさすがに心が廻らぬようです。さりながら油断は禁物、殊に脇坂淡路の狙いは、大奥女中の風儀を捉《とら》え、お美代の方様の周囲を一掃して累をわれらに及ぼさんとする所存。畢竟《ひつきよう》するところは、西丸勢力を蹴落す肚です。油断のならぬは脇坂淡路でござる」
「うむ、その警戒も肝要だ」
「警戒?」
美濃守のきれいな眼は、肥後守の顔を愍《あわ》れむように見えた。
「警戒とは手緩《てぬる》うござる。拙者は彼を手もとにひきつけ、追い落さん所存」
肥後守の狐のような顔は、美濃守の言葉を頼母しく聞いて合点をした。
「例の女中が囮《おとり》となるのじゃな?」
「まず、その辺」
美濃守は眼をかすかに笑わせた。
「しかし、その女中が菊川殿の部屋附ならば、一応、菊川殿の耳に入れておいたがよくはないか?」
「その辺は心得ております。先刻、菊川殿を呼びにやった故、程なくこれへ参りましょう」
「そうか」
肥後守は、何でも気がつく、という風に美濃守の顔を見て、
「本郷への連絡は如何なっているか。奥村大膳から何か云って来ぬか?」
ときいた。
本郷への連絡はどうなっているか、奥村大膳から何か云って来ぬか、と林肥後守が訊いたのに対して、美濃守は、
「奥村大膳には四、五日前に会いました。その際の話に、犬千代様ご機嫌よろしく、また溶《よう》姫様にもお健やかに渡らせられるとのことでござる」
と応えた。
「左様か、それは重畳《ちようじよう》」
肥後守は満足そうに切れ長の眼を細めた。
両人で云っている本郷とは、大手より三十二町、上本郷五丁目に在る百二万石加賀宰相|相泰《すけやす》の上屋敷のことである。つまり前田家を指す。
溶姫とは、家斉の女《むすめ》、お美代の腹に出来た子で前田家に輿入れして当主相泰の内室となっている。犬千代とは溶姫の生んだ嫡子であった。
また、奥村大膳というのは、前田家江戸屋敷の用人である。これは溶姫附であった。
将軍家の女を大名が貰うと、邸内に別殿を建てて住まわせねばならなかった。わが女房でありながら、特別扱いであった。この別殿を御守殿《ごしゆでん》といい、門はすべて朱で塗るのが普通だった。前田家の朱門は現在東大の赤門となって遺っている。
御守殿住いの内室は、将軍家の威光をもって夫を威服し、御守殿女中までがそれをかさに着て、屋敷者に威張った。ましてや溶姫お附の用人となると権勢は大そうなものである。
その奥村大膳と、水野美濃守とはしばしば連絡がとれているらしいのだ。林肥後守がそれを聞いて安心顔をしている。──
このとき、お坊主が来て、
「美濃守様。大御所様、お召しにござります」
と告げた。
美濃守が、それでは、と云って起つと、肥後守が、確《しつ》かり頼む、といった顔をした。
中臈菊川を呼んでいるから、もう此処に来るころだが、と美濃守が少し躊躇していると、別なお坊主が報告に戻った。
「菊川殿はご病気にて、お宿下りの由にござります」
「なに、病気で宿下りと申すか」
「はい、両三日前よりお城を下られたようでございます」
美濃守と肥後守とは顔を見合せた。
菊川が病気だとは知らなかった。そういえば、近ごろ面《おも》やつれがしていたようだが、と美濃守は思った。
登美の素姓を彼女に警告して置こうと考えていたのだが、それでは、全快まで待たねばならない。
(登美のことで思い出されるのは、あの踏台だ。一体どこに匿しているのか)
美濃守は考えながら家斉の病間に向った。