しばらくすると、三原は微笑を浮かべながら唇を動かした。
「その、安田さんを、あんたととみちゃんがホームに見送ったことだがね、それは、その日に急にきまったの?」
「ええ、銀座のコックドールで、安田さんにご馳走になっているときに、そうなったんです」
八重子は答えた。
「なに、銀座でご馳走になった? じゃ、そのご馳走のことは前からきまっていたんですね?」
「え。前の晩に安田さんがいらして、明日、三時半に、私たちと銀座に集まろうとおっしゃったのですわ」
「三時半にね。それから?」
「食事がすむころに、安田さんは、自分はこれから鎌倉に行くから、ついでに駅まで送ってくれないかとおっしゃったので、とみちゃんとお送りしたのです」
「それは、何時ごろ?」
「そうですね」
八重子は首をかしげて、考えるような目つきをしていたが、
「そうそう、私が何時の電車にお乗りになるの、ときいたとき、十八時十二分の横須賀線に乗りたい、今、五時三十五分だから、これから行けばちょうどいい、とおっしゃったことをおぼえています」
「十八時十二分発の横須賀線」
三原の頭には、昨夜自分のつくった時刻表が浮かんだ。十八時十二分の電車は十三番線に十八時一分にはいってくる。安田が十五番線の《あさかぜ》を見ているのだから、この三人の到着は、それ以前でなければならなかった。これは大事なところだぞ、と三原は思った。
「君たちが十三番線に到着したとき、電車ははいっていなかったのだね?」
「はいっていませんでした」
八重子は言下に言った。
「それでは、十八時か、そのちょっと前ごろに着いたのかな」
三原がひとり言のようにつぶやいたのを、八重子が引き取って答えた。
「そうでした。駅の電気時計は十八時前をさしていました」
「へえ、よく気がついたものだね?」
「そりゃ、安田さんが駅に向かうタクシーの中で、何度も腕時計をながめるんですもの、私だって十二分の電車にまに合えばいいがと気になっていましたわ」
三原は、それをとがめた。
「なに、安田さんは、何度も腕時計を眺めていたって?」
「ええ、そりゃ、もう、たびたび。コックドールにいるときからですわ」
三原は、すっかり考えこんだ。それは、八重子と別かれて、バスの中にすわっているときでも同じであった。
安田が、たびたび時間を気にして腕時計を見ていた。これを単純に電車にまに合うためと解釈してよいであろうか? まに合いたいのは、他のことではなかったか。もしやあの四分間にまに合いたい(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)ためではなかったか?
なぜなら、《あさかぜ》を見通すためには、四分間より、早すぎても遅すぎてもいけないのである。早すぎれば、同じ横須賀行の十七時五十七分発の電車がはいっているから、安田はそれに乗らなければならない。遅すぎれば、次の電車が十八時〇一分にはいって、《あさかぜ》を見ることが不可能になるのだ。安田が、しげしげと時計を気にしたのは、まさに《あさかぜ》の見える四分間をねらったのではあるまいか。
(こんなふうに考えるのは、勘ぐりすぎかな)
三原は、一度は反省心を起こした。が、やっぱりいけなかった。振り捨てようとすればするほど、この懐疑は執拗にとりついてきた。
──安田はなんのために、そんな工作をしたのだろう? この答は、三原の仮説をすすめると簡単であった。
(安田という男は、佐山とお時とが特急《あさかぜ》に乗るところを、八重子ととみ子に見せたかったのだ。つまり、さりげなく目撃者をつくったのだ)
三原の胸は、ひとりでにたかぶっていた。
安田辰郎という人物が、彼の前に大きく浮かんできた。
(安田に会ってみよう)
三原がそれを実行したのは、午後の陽ざしが窓ガラスから流れこんで明かるい、安田辰郎の事務所の応接間においてであった。三原の名刺を受け取って出てきた安田辰郎は、鷹揚(おうよう)に微笑して、客に椅子をすすめた。