小学生の時、一年間だけ東北の田舎町に住んだことがある。もう五十年以上前だ。会社員だった父の不本意な事情のためで、東京から汽車でその町に向かう親子四人の心は重かった。地元の小学校の、私は六年、弟は三年に編入することになった。
東京の私立小学校に通っていた私と弟は、その学校の制服のまま四月の新学期に合わせて登校した。白いワイシャツに紺のブレザー、下は同色の半ズボンである。この格好は他の児童たちの目を引いた。何しろ他の子はダボダボのセーターに長ズボン、頭は丸刈りである。ダボダボなのは上からのお下がりだったり、数年は着られるようにと親が配慮したせいだ。その頃の日本は今ほど豊かではなかった。カバンは肩から下げる布製で靴はズック。
一方、私は手に下げる革カバンで靴も革、ひざまでのハイソックスである。
恥ずかしかったので両親に相談すると、母は理解してくれたが、分からず屋の父が、「田舎者に、都会育ちのカッコ良さを見せつけてやれ」
と、こうである。早速、“坊ちゃん”とあだ名が付けられた。女の子には人気があったが、逆に男の子には妬まれた。当然であろう。カバンが中身を出されたまま廊下に放っておかれたり、下駄箱の革靴が消えていたりした。
いわゆる“イジメ”である。
その頃の私はイジメとは思わず、この地に紛れ込んだよそ者の自分が悪いと思っていたので親には話さず、
先生にも告げなかった。
ある時、事件が起こった。
昼休み、いつものように馬にさせられ、ガキ大将が上にまたがり教室を四つんばいで歩かされた時のことである。同級生のタミコが私の背に乗ってはしゃいでいる子を突き飛ばした。タミコは多美子か民子か覚えていないが、子供にしては大柄でいかめしい顔付きをしていた。家業が林業なので、“丸太かつぎ”とやゆされていた。突き飛ばされた子は机の足に頭を打ち付け、痛そうな顔をしている。
それからイジメはピタリとやんだ。
六月になって修学旅行があった。場所は東京で、車中一泊、旅館一泊の三日間。
夜寝る前、みんな興奮していた。十畳ぐらいの和室に七、八人が枕を並べていた。その枕が私に一斉に投げつけられた。私は部屋を逃げ出し隠れ場所を探した。
たまたま入り込んだのが狭くて暗い布団部屋である。布団の中で息を潜めていると、ふすまが開けられた。「藤田君、そこにいるの分かっているよ」
私は恐る恐る布団から出た。タミコが少しずつ近付いてくる。ついにふたりの間は三十センチほどになった。
この雰囲気からするとタミコはキスを迫ってくるのかと緊張した。そうならずタミコは私を見つめて聞いてきた。「藤田君、オラ、めんこくないかな?」
私は返事ができない。次に出てきたのは、「オラ、めんこくないべ。でも、もう少したったら、めんこくなるさ。その時きっと、めんこいって言ってくれる?」。 私はうなずいた。
遠い昔の切ない思い出である。今年は珍しく仲良しだった同級生から年賀状がきた。今は町の神社で神主をしている丸ちゃんである。末娘が結婚すると一筆、添えられていた。
私は思った。その日に合わせて町へ行こう、サプライズとして。たぶん、タミコに会えるだろう。そしたら言ってやりたい。
「タミちゃんはめんこいなあ。あの頃もだったけど、おばあちゃんになった今もね」と。