そんな私に対し、祖父はいつもこう言った。「大丈夫、大抵の事は大丈夫なんだよ。」と私を安心させてくれた。
或る日家の外壁に、ヤモリがいた事があった。私は怖くて、気持ちが悪くて、不安で一杯になった。それを祖父に伝えると 「大丈夫。ヤモリは家を守ってくれる神様なのだよ。だからヤモリがいてよかったね。」と嬉しそうに笑った。
また別の日には、祖父と一緒に歩いていると、飛行機が随分近くを飛んでいた。私は落ちてくるのではないかと不安になったが
「飛行機が落ちる可能性は、街中にいる限りほとんどないから、問題ないよ。」と教えてくれた。
私は小さいながらに、祖父という長生きしている、人生の大先輩からの大丈夫という言葉が、心の中にぽっと入ってくると、とても安心できた。しかもその理由もしっかりと教わると、少しずつ、世の中それ程怖い事ばかりではないと思える様になってきた。怖いと思っていた事も、実は大した事ではなかったり、見方を変えると、むしろ面白い事柄も多く、私は色々な事に挑戦してみようという気持ちが強くなっていった。
私が小学校高学年に上がると、祖父は体を壊して入院を繰り返すようになった。最初の頃はお見舞いに行っても色々な事を教えてくれた。また、私の心配事を伝えるといつも通り「大丈夫だよ。何とかなるよ。」と笑顔で私を元気づけてくれた。
しかし祖父の病状は日増しに悪化し、一年後には寝たきりで、起き上がる事もできなくなっていた。意識も段々と薄らいでいき、私が話をしても、聞こえているのかどうかもはっきり分からなくなっていた。それでも私は学校であった事や、疑問に思っている事等、祖父の所に行く度に伝えた。すると祖父は最後には必ず
「大丈夫だよ。きっと上手くいく。」
と小さな声でささやいた。
私はその後、どんどん体が大きくなり、物事の仕組みも少しずつ分かっていった。漠然と怖がっていた事も大抵の事は大した事ではないと分かった。しかし、それとは逆に、祖父はどんどん弱っていき、その頃にはもう祖父の口から、大丈夫という言葉を聞く事はなかった。むしろ良くならない体も分かっている様で、弱気な表情をする事が増えた。私はそんな時、祖父に言った。「おじいちゃん、大丈夫だよ。」
すると祖父の目は少しだけ開き、ほほ笑んだ。そして大きくうなずいてくれた。
その後は、目もあまり開かなくなった。
「おじいちゃん、大丈夫だよ。僕の怖い事は少なくなったし、もう心配いらないよ。」と祖父に伝えたら、祖父の口角が少しだけ上がった様に見えた。
それから二ヶ月後、祖父は天国へ逝った。私は祖父と約束をする事した。その約束は私に臆病な気持ちが出てきたら、大丈夫だから勇気を出してみる、というおまじないみたいなものだ。それは今の私の行動の原動力になっている。失敗をする事も沢山あるが、その失敗ですら、何とかなると思える様になった事が不思議だ。今でも祖父の”大丈夫”という言葉とやさしい笑顔が私をずっと支えてくれている。