ある日黒いスーツにパンチパーマをあてた大柄な男が面接にやってきた。太い首には金のネックレスが張り付いている。やくざ映画のスクリーンからそのまま出てきたのかのようだ。物腰は一見丁寧だが、顔色も悪く表情が読み取れないところが不気味だった。
履歴書によると三十七歳、高校中退後夜の客商売を転々としている。空白期間もかなりある。直近においてはデリヘル嬢の送り迎えの運転手と書いてあった。
「はっきりいってこの仕事はきついですよ。夏でもエアコンはほとんどきかない町工場でのコツコツ作業です。それから一番困るのは、いやになったからといって急に辞められることなんです」
いきなりマイナーなことばかり並べる私の言葉の裏に、始めから不採用も止む無しというニュアンスがあったことは否定できない。
「失礼ですが、ここしばらくお仕事されてませんが、家賃などはどうされていたのですか」
「ひもってやつでした」
「あ、ひもですか…それをやめたい、と?」
「はい」
彼が初めて顔を上げて、きっぱりと返事をした。彼に何があったか知る由はないが、私は少し時間をかけて話をしようと気持ちが傾いた。そして、頭の先から足の先までこのままではNGであるとかなり辛辣に説明した。いつ怒りだすかと内心ひやひやしたが、意外にもその間ずっと彼の背筋は伸びたままである。
私は長年この仕事をしてきた中で初めての言葉を発した。
「私あなたを信じていいですか?」
「はい」
彼が視線をそらさずはっきりと答えたので、
「では、紹介させて頂くことになりましたら連絡します」
そう締めくくった。彼はすくっと立ち上がって、
「そちらの顔に泥を塗るようなことは決してしません」
といって頭を下げた。いよいよ昭和の任侠映画の台詞だ。
「はい、約束してくださいね」
送り出した後、妙に印象に残ったのは最後に一瞬だけ見せた彼の笑顔のせいだろうか。
このやり取りに、オフィスの仲間全員が耳をそばだてていたことは容易に想像できた。
「えー紹介するの? 大丈夫?」
案の定みんなが驚きの声を上げたが、彼は私の推薦で新聞折り込みの印刷工場に派遣することに決まった。
そうはいっても、私は彼がいつ急に仕事を放棄するか、誰かに迷惑をかけるのではないかとずっと気になっていた。事実そういった人は過去に何人もいた。
半年ほどたったある夏の日の昼下がりだった。彼がひょっこりと事務所に顔を出した。顎のラインがシャープになり、髪は刈り上げられていた。白いポロシャツにコットンパンツという服装は、その分厚い胸板と日焼けした肌からまるでプロゴルファーを思わせる。
「びっくり。何か全然雰囲気違うじゃない」
「あの時はどうせいつもとおんなじで落とされるって思ってたんで。でもあんな風に言ってもらったなんて初めてだったんです。来年社員になれるかもしれないって工場長さんにいわれました。それをどうしても伝えたくてこちらに寄ってみました」
派遣から正社員という道はそう簡単ではない。彼の働きぶりが評価されたのだ。
「えーそれって随分頑張ったんですねえ。私とっても嬉しいです」
「約束したじゃないですか。○○さんの顔に泥は塗らないって」
いつの間にかオフィスの仲間が私の後ろに並んでいた。みんなに囲まれ彼の笑顔が一段と輝いた。
彼は私とではなく自分自身への約束を守って、ひもから脱却したのだ。