翌月、私は吉野さんを訪ねました。道すがら、周辺の家屋を見ました。そこには、傾き、悲しくて下を向いているように見える家屋が点在していました。
「吉野さん、辛かったろうな。」
吉野さん宅に着きました。庭先の大きな松は健在で、「よく来たな。」という構えでした。しかし、家は瓦が落ち、青いシートに覆われていました。また、室内も、あらゆる壁にひびが入り、直視できませんでした。
しかし、吉野さんは、漁師魂の塊で、威勢良く出てきました。
「よう来たな。余分な挨拶は抜きだ。あと、子どもが心配することじゃない。」
私は、これこそ、吉野さんだと思いました。うれしくて、うれしくて、涙が出ました。
その時、庭に、ちぎれた漁網が見えました。
「ああ、津波にやられた漁網だ。少しでも修繕できないかと思ってな。」
その時、私に稲妻が走りました。家の庭の木と木の間に、これをかけ、そこに、様々な植物が、枝や蔓を伸ばしている光景が浮かんだのです。
私は、早速、尋ねました。
「これをいただけませんか。」
「こんなもん、何にするんだ。」
「木にかけたいのです。」
「何だって。まあ、このままじゃ使えねえから、持っていくがいい。」
家に戻るとすぐ、ブツ切れになった網をつなぎ始めました。三週間ほどすると、網のカーテンになりました。それを木と木の間にかけました。
五月末、朝顔とケナフの種を蒔き、ゴーヤの苗を植えました。六月、芽が一斉に吹き出し、どんどん生長していきました。とりわけ、ケナフは、中旬に、二階の屋根に届きそうなくらいになりました。そして、梅雨が明けると、花が咲き始めました。朝顔の濃青、桃色、ケナフの薄い黄色、そして、ゴーヤの鮮やかな黄色が、七月の空を覆いました。
花の咲く時期と咲く場所はまちまちで、想像した光景とは違っていました。しかし、プツンと切れた漁網と植物とのコラボレーションは、見事でした。まるで、青のキャンバスに、緑、紅、桃、青と黄色の絵の具を散りばめたような、躍動感のある絵画そのものでした。風になびく姿は、大空に向かう、緑の壁でした。そして、気づきました。
「去年の夏より、庭が涼しい。」
大きな葉が、日光を遮ったり、葉から蒸散する水分が、周りの熱を奪っているからではないか。緑の壁が、自然のクーラーになっているのだと気づきました。漁業に生きる人にとって、漁網は、宝を運んで来てくれる大事な道具です。それを無残にも、自然災害は、打ち砕いてしまいました。しかし、その残骸が、別の形で甦ったと、私は、その時、思いました。
昨年の春、私は、再び、吉野さんを訪ねました。そして、網に咲いた花の写真を見せました。すると、吉野さんがおっしゃいました。
「これが、あの網か。あいつら、まだ、生きていたんだな。」
その夏も、網の花は咲きました。黄色が、一層濃くなったように感じました。
先日、昨年採った種に話しかけました。
「今年は、どうするの。」
すると、仄かに風が吹いて、種がにこっとしました。
「じゃあ、約束ね。今年も待っているわよ。」