ラッキーは私が三歳の頃に隣の家にやってきて、その時はまだ小犬でした。私は兄と一緒に毎日、ラッキーに会いに行きました。飼い主のおんちゃんもとても優しく会いに来る私たち兄弟にジュースをくれたりラッキーの散歩をさせてくれたりとラッキーと同様に大変可愛いがってくれました。小さ時から一緒のラッキーは私にとってもう兄弟のような存在で私が大きくなっていくにつれ、ラッキーもだんだんと大きくなっていきました。
そして小学校五年生の時。ラッキーは八歳で人間で言ったら、その時の私よりも大分年上ですが、呼ぶ時は「ラッキー」と呼び捨てです。私も学校があり昔のように毎日行くということもできず、たまに会いに行く程度になっていました。その日も学校から帰り家でテレビを見ていると母が「ラッキー」の飼い主のおじさんね。病気であまり長く生きられなさそうなんだって…あんなに優さしそうな人がねぇ…今度一緒にお見舞いに行こうね。」と言われ、驚いたというよりもなんとなく分かっていたというのが本音で、ラッキーに会いに行っても、ほとんど、おんちゃんは居なくて一緒に住んでいるおんちゃんのお母さんとばかり会っていて、ある日、「おんちゃん今日も居ないの?」と尋ねてみたら「ごめんねぇ、今日も居ないのよ、来週くらいには退院できると思うんだけどねぇ」と少し悲しい顔をして答えてくれました。
それから何日かたって、学校からの帰り道に聞き慣れた犬の鳴き声が聴こえて振り返ると、そこにはやはりラッキーと久しぶりに会う、おんちゃんがいました。私は驚きと嬉しさから少し大きい声で「どうしてここに、おんちゃん居んの!!いつ帰ってきたの!!」と質問攻め、おんちゃんは優しく笑ってから「今日の午後にね退院できたんだよ。そしたらラッキーが帰って来るなり甘えてきてねぇ、だから散歩に連れてきたんだよ」と話してくれました。私もそのまま一緒に散歩をし、いつも寄る公園でラッキーと遊びました。それを見ている、おんちゃんは嬉しそうでしたがなんだか寂しさも感じられました。「おいで」というおんちゃんの声に反応して走って行くラッキー。おんちゃんは頭をくしゃくしゃに撫でながら「ラッキー…いいかい?お前は女の子だがな俺が居ない時は母ちゃんのこと守ってくれな…約束だぞラッキー。」と我が子に話すように優しく言っていました。私はその様子を言いようもない気持ちでただ見ているだけでした。そして何ヶ月かたってから、おんちゃんは亡くなりました。癌だったそうです。その日の夜はラッキーの鳴き声が悲しく響いていました。
何年もたって私は中学三年生になりラッキーにも、まったく会わなくなりました。おんちゃんのお母さんもおばあさんになりラッキーも、おばあちゃんになっていました。そして三月十一日。東日本大震災が起こり沿岸部だった私の町に津波が襲い何もかもが流されました。私の家族はみな無事でしたが、それ以外は何も残りませんでした。私は避難所でラッキーとおばあさんの安否が気になり母に尋ねました。「ラッキーねぇ…今日の朝死んだのよ。おばあさんはそれで娘に連れられて市役所に行ったから無事だと思うの。偶然かもしれないけど…こんなことってあるのねぇ」と母は言っていました。私はすぐにあの時のおんちゃんとラッキーの約束を思い出し、鳥肌が立ちました。こんなことが起こるのかと母の言うように偶然かもしれないしかし、私はどうしてもそれを偶然とは思えなかった。ラッキーは約束を守ったのだと、おんちゃんの最後の願いを守ったのだと、私は誰かがなんと言おうと、そう信じたい。