そんなのんびりとした水泳ライフの中に、すこしだけ熱血漫画を思わせるような、熱心に勝利を追求した時期がある。それは小学校五年生から六年生にかけてなのだが、学年の中にとても泳ぎが上手な子がいた。少し筋肉質な体つきだったので、マッチョと呼ばれていた。物心つく前から水泳をやっていた僕としては、自分を差し置いて他の人が水泳の授業中に目立つことを良く思わないという不なプライドのようなものがあり、いつしかマッチョをライバル視するようになっていた。
ある日、学校で五十メートルのタイムを計る授業があった。ちょうどマッチョとは隣のレーンを泳ぐことになっていて、今日は実力の差を見せてやると一層意気込んでいた。
スタート台につき、少し間を置いてから担任の乾いだホイッスルの音が響いた。僕は急いでプールに飛び込んだ。横に目をやると、マッチョはあまり水しぶきを立てずにスッと飛び込んでいた。やはりマッチョは上手かった。二十五メートルプールの真ん中に近いあたりまでドルフィンキックで潜水し、序盤はあまりクロールをせずに無駄のないクイックターンで折り返す。一方で僕の方は、マッチョの腕一本分くらいの遅れをとっていた。焦りと緊張で、水の中にいるのに口の中がカラカラになった。どうにか追いついたのだが、結果はマッチョに0・五秒程負けてしまった。
その日の夜は食事もろくに取れなかった。水泳で、生まれて初めて悔しいと思った。親にマッチョに負けたことを話すと、期待していた反応とは裏腹に、新参者に負けたのか等と散々に言われた。耐えかねた僕は、親のこの口車にまんまと引っかかり、勢いで次はマッチョを打ち負かす、と約束してしまった。
次の日から僕は変わった。次の測定は一ヶ月後、その年のプールの授行の最後に行われるクラス対抗の水泳大会で行われることになっていた。一ヶ月でマッチョとの差を縮められるか、正直不安ではあったが、あの日の屈辱を晴らし、親をギャフンと言わせる為、と練習に必死に打ち込んだ。いつもは一週間に一?二回一?二キロメート泳ぐ程度だったのだが、その日から一ヶ月間はほぼ毎日二?三キロ泳いだ。スタートルとクイックターンで出るタイムロスを出来るだけ少なくなるように基本から練習し直した。その一ヶ月だけで体脂肪率が十パーセント以上低下する程徹底して取り組んだ。
そうして迎えた大会当日、僕とマッチョはスタート台に立った。あの日と同じ、担任の渇いたホイッスルの音が響く。本当は序盤で大差を付けたかったのだが、マッチョもそう甘くはない。ほぼ同じ位置を泳ぐ。この硬直状態が終盤まで続き、そのままゴール。全てを出し切り、タイムが発表された。僕は恐る恐る結果を見た。また負けた。今回はもしかしたら、と思ったが、現実は甘くは無かった。○・一秒の壁を突きつけられ、親に宣言した「マッチョを打ち消かす」という約束も果たせなかった。けれども、不思議と悔しいとは思わなかった。
確かにマッチョには負けたが、今までに無いくらい必死に特訓した結果だったから、むしろ心からマッチョの技量を称えることができたし、悔いは無かった。
約束も、目標も何も達成できなかったけれど、青い空の下、プールで必死に勝利を追い求めたあの夏の日の青春は、今でも大切な思い出となっている。