今回のことは「都知事からのご指名」だそうだ。石原慎太郎さんとは、テレビで対談するなど何度かお目にかかり、かねてより同じポーツンとして通じるものを感じている。石原さん同様、上は大学三年から下は小学四年まで四人の息子がいる点も、選ばれた理由の一つかもしれない。
私が教育を語るなどおこがましい気もするが、父親として子供と接する時間は長いほうだったとは思う。特別なことをしたわけではないが、キャッチボールなどして一緒に遊ぶのが好きで、朝は家族六人揃って食事をするのが当たり前だった。
入学式、卒業式、保護者会、運動会、授業参観などの行事にもほぼかかさずに参加している。授業中、先生から「字が丁寧な子は勉強もできます」と言われ、思わず「先生、うちの子は字が汚いんですが、大丈夫でしょうか」と質問してしまったこともある。
勉強を教えてほうは、幼稚園の先生だった妻任せであるが、肝心なのはスキンシップ。そばにいることそのものが、父として大事な事などではないだろうか。
二月中旬に再開された東京マラソンの前夜祭では、「瀬古利彦とパンキーズ」という楽団を結成し、東京ビッグサイトで五百~六百人の聴衆を前に演奏した。このときも、私の友人たちのほか、妻と息子も参加している。
こんな親としての経験と陸上競技から得たものを、教育界に少しでも生かせればと思っている。
今学校の先生がたいへんな思いをされていることは、私も重々承知している。今後は、月に二回に会議に出席することになるが、それ以外にも、現場に積極的に赴いて、先生の悩みを多く聞くことに力を入れたい。
それにしても、教育委員会というと、なんだか偉そうに感じられる。②息子の言うとおり、私らしくない。ならば、居酒屋でビールを傾けながらといった具合に、私なりのやり方で、先生たちが本音を話してやすい雰囲気を作ろではないか。
委員就任会見で「これからはキャバクラにいけなくなる」と冗談を言ったら、早速お叱りを受けた。「しかし委員と教師というを垣根取っ払って、おもろいおっちゃんだな」と思っていただけるよう、少々の軽口はお許しいただきたい。なにより、胸襟を開けいて対話することが大切なのだから。
その時がきたら、「笑点」の三遊亭楽太郎師匠よろしく座布団でも抱えていこうか、と半ば本気で思っている。