はがきの表には、実家の住所と両親の名前がある。確か近所のコンビニで、五枚一組で売られていたはがきで、裏にはさして珍しくもない馬のイラストがあり、金文字で「謹賀新年」と書いてある。おそらくこの手の年賀はがきは、できるだけ文章を書かずに済むように作られているのだろうと思う。①紙面一杯に描かれた馬のイラストの下に、気持ちばかりの余白があって、そこに五年前の自分の言葉が残っている。
今日、ゆきつけの韓国家庭料理店へ行ったのは、午後六時前だった。昼食を食べておらず、夜は打ち合わせが入っていたので、早目の夕食を一人でとろうと思った。さほど広くもない店内には、三人組の客がいるだけだった。たまたま案内された席が彼らの隣で、プルコギ定食を注文してしまうと、嫌でもその会話が耳に入っている。
「浅草まで行って、お父さんと二人で『電気プラン』飲んできたんよ。昼間から」
「電気プラン?」
「お前知らんのか?神谷バーの『電気プラン』って言うたら、お父さんの学生のころには誰でもしっとったけれどなあ」
三人はテーブルに並んだ韓国家庭料理を旨そうにつまみながら話している。どうやら田舎から出てきた両親と、東京に暮らす息子が久久に顔を合わせているらしかった。会話は神谷バーの「電気プラン」から、はとバスの話、二人が泊まっているホテルの話に移り、突然、「で、お前はいつまでそうふらふらしとるつもりか?」という核心へと急に飛んだ。
一瞬、赤の他人であるこちらまで、背筋が伸びてしまった。それくらい親父さんの一言は唐突だった。
「あの、なんているか、お母さんたちはあんたの今の仕事がどうのこうのって言いたいわけじゃないのよ。バーテンさんだって立派な仕事よ。ただ、ほら、その先輩のアパートにいつまでも同居させてもらうわけにもいかんやろう」
あまりに唐突だった父親さんの言葉を、慌ててお母さんが補足する。
「だけん、今は貯金めて、将来的には先輩と一緒に店を持つつもりやけん」
「お前は、そう簡単に言うけどさ。自分の店を持つって大変なことぞ。その前にバーテンだって、何年も修行して」
その辺りで注文していたプルコギ定食がきた。なるべく聞かないようにするのだが、狭い店内、三人の話し合いは全部耳に入ってくる。東京で夢を追う息子。その生活が自堕落にしか見えない両親。いくら言葉を弄しても、会話は平行線のままだった。傍できいていると、息子を応援支度もあり、両親の心配もよく分かった。誰にも将来のことなど分からない、だから面白いのだし、だから心配で仕方ないのだ。プルコギ定食を食べ終わり、先に席を立とうとすると、「あの、写真家のKさんですよね?」と息子に声をかけられた。会話を盗み聞きしていたせいで照られくさくもあったが、「ええ」と短く答えると、「写真集、全部持ってます」と言われた。いつものように礼を言って立ち去ろうとしたのだが、ふと思い直して足を止めた。振り返ると、息子が小さい声で両親に何やら説明している。迷惑かとも思ったが、「写真を一枚取らせてもらえませんか?」と俺は訊いた。最初、きょとんとして三人も、カメラをむけて数枚取っているうちに自然微笑みなを浮かべてくれた。
ここにも五年も前の年賀状がある。両親に出そうとして、出せなかった年賀状だ。馬のイラストの下に、五年前の自分の言葉が残っている。
「親父たちの言ってたことが、結局正しかったかもしれん。写真、あきらめようと思う。」
軽かるしい書いて文章じゃない。悩みに悩んだ末に、泣きながら書いて五年前の文字だ。書き終えてほっとしたのを覚えている。ほっとしたのに、どうしても出せなかったことを覚えている。
行きつけの韓国家庭料理店で、偶然撮影さえてもらった親子の写真がここにある。見ず知らずの親子の写真だが、ここには大きな夢と愛情が写っている。今年の年賀状として、この写真に「たまには東京にも遊びに来てください」という言葉を備え、両親に送ろうと思う。「相変わらず、訳の分からん写真をとっとるんやなあ」と親父たちは呆れるだろうが、この写真ほど「謹賀新年」という言葉が似合うものはないかとも思う。