1十五年の闘病生活を、ただの一回も弱音を吐かずに闘いぬいた最愛の父が旅立ちました。
二回目に倒れたとき、救急隊が来るまでの間、親父が言った言葉は耳にはっきりと残っているよ。
朦朧とする意識と痛みの中、涙を流し、くいしばりながら、
「チキショ......」ってそれが、親父の喋れた最後の言葉だったね。
救急隊に運び出されようとしたとき、親父が超可愛がってた。今年の八月に旅立っていった「らっきーくん」が必死に救急隊と親父のそばに割り込んでいって守ってくれてたね。
「出血範囲が脳の1/4と広すぎるため、命を救える保障は出来ません。一命を取り留めたとしても、植物状態になることだけは覚悟しておいてください」と救急センターで言われ絶望感と闘いながらオペが終わるのを待ってたあの夜。今でもはっきりと覚えてるよ。
2あのとき健康でいれてたら、もう少ししたらおやじの大好きな伊豆に連れて行ってあげようと密かに計画していたんだ。
でも、叶わなかった。
右麻痺が残りながら自宅で生活できていた時も親父はいつも、どんなに自身の体調が悪くても、自分のことより俺のことを心配してくれてたね。
なのに、
昨夜、急変の連絡がきたから18分、
最期を看取ることができなかった。
親父ごめんね。
意識不明になってからも面会時間以外、病院で一人で苦しみ頑張っていたのに最後まで一人にさせちゃって本当にごめん。
最期親父のそばにいなかった。
3最期「絶対一緒にいるから」そう親父に誓ってたのに約束を守れなくてごめん。
最後に面会できた日、意識不明の中で、帰り際に「俺のことがわかるなら、言葉が届いているなら、一回でいいから握っている手に力を入れて」って言ったら、ちゃんと一瞬力を入れてくれた。
あの時も、親父は俺の願いを聞いてくれた。
なのに俺は最期の親父の願いを叶えてあげられなかった。
俺は最低の親不孝だよね。
親父本当にごめんなさい。
許してもらえないのは十二分にわかってる。
でも、これだけは信じて。
「十五年間の闘病生活で、俺にたったの一度も弱い部分をみせず闘いぬい親父のこと、尊敬してる。息子として、家族として親父のこと誇りに思ってるよ。」
十五年間本当に本当にお疲れ様でした。
やっと病気から解放された気分はどう?
次は、超健康体で一生を全うできる身体をもらって生まれ変わってきてね。絶対約束だよ。ずっと祈っているから。
親父の63年間の生涯で、俺は30年弱しか一緒にいれなかったけど、少しでも親父に「幸せだな」って思える時間を作ってあげることができたかな?
親父本当にごめんね今まで本当にありがとう。