まだ六月も初めだというのに、日中は外に出るだけで額に汗が浮かぶ。遠目に見える、白人の観光客の一団も、皆半袖でサングラスをしていた。ただ、こうやって木陰に座り込んでいると、なかなかに快適であり、時折吹く風が気持ちいい。
読んでいる本がひと段落ついた。時計を見れば、午後の二時半だった。そろそろ、本をしまって、学校に戻らなければならない。
僕は、財布から、くたびれた小さな厚紙を取り出した。この小さな厚紙は、僕が本を読む時に――殊に、長大で読むのが疲れる本を読む際に――いつも栞(しおり)の代わりに使っているものである。
紅茶色に日焼けしたその厚紙には、僕が現在通っている大学の校章が描かれている。この厚紙は、僕の祖父がかつて、僕と同じ大学の文学部に通っていた頃の、学生証なのだ。
僕の記憶に一番残っている祖父の姿は、書斎の文机にむかい、正座で本を読み、あるいは書き物をしている姿だ。読書好きの祖父の書斎は、図書館の一角が畳の上に引っ越してきたようであり、立派なものだった。三畳間の狭い書斎が、沢山の本で埋め尽くされている様子は、当時の僕には秘密の隠れ家のようであり、わくわくするものだった。
ただ、母が祖父の邪魔をしてはいけないと、厳しく言いつけるものだから、次第、僕の足は祖父の書斎から遠ざかっていった。
また、小さい頃、僕は祖父のことを、どちらかというと厳格で、少し話しかけづらい人間だと思っていた。祖父から叱責を受けたとか、そんな記憶は一切ないのだけれど、どうにも小さい頃の僕は何となく祖父との距離をつかめずにいたらしい。
祖父は僕が十歳の頃に他界している。残念ながら、以上のような理由で祖父と僕は二人でゆっくりと話をすることができなかった。この事が今でもずっと心残りになっている。
僕が知っている祖父に関する話は、ほとんどが祖母から聞いた話だ。僕が京都御所で読書をするようになったのも、祖父がかつて夏の暑さを避けるために御所で本を読んでいたという話を、祖母から聞いた為だった。
さて、今年の八月の初めのことである。
学校の期末考査も終盤の頃、息抜きのため、僕は御所で読書をしていた。
ちょうど翌日が古典の考査だったこともあり、僕は『伊勢物語』を読んでいた。この本も、祖父がかつて所有していたものである。どうやら祖父も本に自分で注釈を入れる癖があったようで、本文が真っ黒になる程に書き込みがしてあった。けっこう有用なことが書いてあって、古典が苦手な僕も祖父の注釈を頼りにすいすいと読み進めることができた。
「あれ?」――しかし、大体半分くらい読み進めて僕は手を止めた。突然、祖父の書き込みがページの上から無くなり、本文が真っ白になっていたのだ。訝(いぶか)しんだ僕だったが、すぐに理由が分かった。
「――なんだ、じいちゃんもか!」
得心がいってそんな風に大きな声で独り言ちる僕の顔に、自然と笑みが浮かんだ――「じいちゃんも俺と同じだったのか!」
実は僕には悪癖がある。僕は、とにかく飽きっぽい性格で、長くて小難しい専門書を最後まで通読するのが大の苦手なのだ。内容が理解できないとか、その本に興味がないというわけではない。半分も読むと、同じ本を読むのに飽きて面倒になってしまい、後半を読み飛ばしてしまうのだ。僕は勉強の際、教科書にたくさん書き込みをする性分なのだが、この癖の為に、前半にはびっしりと書き込んであるのに後半は真っ白ということが非常に良くある。
だから僕は、本をきちんと通読して理解できるようにと、読書好きだった祖父に願掛けしていた。難しい本を読む際は、いつも祖父の学生証を栞代わりに挟んでいたのだ。
しかし、どうやら僕の悪癖も、僕の読書好きと一緒で、祖父譲りのものだったらしい。
僕の教科書と、祖父の『伊勢物語』の書き込みの具合は、示し合わせたように、後半の少し手前で終わっていたのであった。
僕は、笑みを浮かべながら、祖父の学生証を見つめた。僕が知らない、祖父の性格の一面を見つけたことが嬉しくて、にやにやするのを止められない。
「もうすぐお盆だ。よし、墓参りの時、このことでちょっとからかってやろう」
余談だが、今でも僕は、祖父の学生証を財布に入れて持ち歩いている。