試しに、指をパッとひろげてみると、その表情は全く変わってしまう。くっつけると、また母の面影となった。不思議であり、懐かしくもありという思いで、しばし、てのひらをながめていた。
左手はというと、右ほどでもないが、やはり母がいるような気がする。
どの部分が目であり、口であるというような見方ではない。何となく面長で、ほんのりと紅みがさしていて…… という風にだ。
母のてのひらをしげしげとながめた記憶は全くないのになぜ母を思い出すのか。
意識していなくとも、その手から菓子をもらい、その手から小遣いをもらい、その手でしかられてきたから、母のてのひらというのは、娘の瞳の中に染み込んでいるものなのだろうか。
自分の手は、夏でも霜焼けかとよく人から言われる。そんなてのひらがほお高の母の顔を思い出させるのか。
特に、一枚の写真を思い起させる。子供の時にどこからか見つけ出した母の写真である。まだ、わたしは生まれていなかった三十二歳頃のものだと言っていた。しまの着物を着ていたと思う。母が年を取ってからの子なので、母の思い出というと、美人とはほど遠い感じだったのに妙にその写真だけは美しかった。
苦労していた頃にも、たまに和服を着るとピリッとした着こなしで、見違えるような母の姿が好きであった。母親の着物姿というのは普段とは別の魅力があった。防虫剤のにおいが、着物のイメージとして漂ってくるようだ。
その母が癌で他界してから三年半。看病の頃の、病室の窓からながめた晩秋の雲と、紅の残照の中に、ベッドの上の母の顔と、美しかった写真の母とが重なり合って浮かび、わたしのてのひらの上に写るのである。
水仕事を終えて、てのひらは皮膚がパリパリとはっている。はっていながら、たてじわや、親指へかけての横じわが目立つ。そんな表情が、なおさら、さびしげな母の顔を思い出させるのかも知れない。
思えば自分もあの写真の母の年頃となろうとしているのだった。