本堂の前にひろがる墓地への石段は、幼な児を残して逝った父の死後、あの貧しさの中でも絶やすことのなかった私達の墓参の、くるたびになつかしい道でした。
娘達が育ち自分が病いに倒れると感じた頃、念願だった父の墓を建てに、母は今、この石段を手をひかれてあがります。
小さな石をおいただけの父の墓は、土葬だったので、骨を拾うには掘りおこす他ありませんでした。
人夫達によって一メートル以上も掘られた頃、骨は二十三年間の土中から、驚くほどの美しさでその全てがでてきました。
棺に入れたウイスキーの小瓶も、愛用だったろう万年筆もメガネも、そして生前離すことのなかったお守りも、母と娘の長かった時間をとびこすように、今、目の前にあるのです。
思えば私には、初めての「父」との対面でした。
三才の私はまだ死を知らず、急死にかけつけた周りの人々に、
「あのなかに、おじちゃんもはいるの」と問うて、泣かせたものだと聞きました。
父は、以前学んだ標本の骨のように、私の前にありましたけれど、不思議とおそろしさも吹き上がるほどの悲しみもありませんでした。
ただ、静かな安らぎとわずかのなつかしさが体中に広がる中で、骨が驚くほど美しいことが、母のためにとてもうれしかったのです。
思えば、妻子をおいて先立たねばならなかった父にとって、二十三年間の涙も汗も、その苦労の全てを「祈り」として語り続ける他なかった妻の心に、夫として答え得ることは、再び会える日まで、土中にあってもなお、美しく残り続けることしかなかったのではないでしょうか。
この骨の美しさは決して偶然ではなく、神に許された父の精いっぱいの、母への最後のやさしさにちがいありません。
そう思った時、新しい墓石に花を手向けながら、はじめて父の無念さと、二十三年の母の涙の量を想い、祈りの中でつながる他なかった哀しい夫婦の愛の型に、静かに手を合わせる他ありませんでした。
一年後の春、その墓に母の骨を納めながら、やはりあの雨あがりの日を思いました。
念願をはたし力つきたのか、思いがけず早く逝ってしまった母の小さすぎる骨を抱くと、苦労づくめの中のあの気丈なみごとな生と、あの日の父の骨の美しさが重なって、残された私は、悲しみの中でわずかに暖かなものを感じるのです。