私は山里で五人姉妹の末っ子として生まれた。そして夕暮れになると山のはにあっけなく沈んで行く夕陽を眺めてすごした。母は私が四歳の時に、長く患うこともなく山里の落日のようにすとんと生を終えた。五歳の頃の私の遊び場は近くの山だった。田園地帯に住む子供たちがあぜ道を歩くような気軽さで、笹をかり込んだだけの山道を駆け登った。山にはところどころに山桜があった。葉の陰でひそやかに咲いている花など子供心に美しいと感じることもなく、小さな実が黒く熟れるのを待ち望んでいた。
春の一日、姉達は近隣では桜の名所として知られている、遠くはなれた山へ歩いて花見に行くことになった。末っ子の私には遠すぎたようで父に「照子は後でお父さんと一緒に行こうな。」と言われて家に残された。姉達と同じ所へ行けるものと思っていた私は、裾に赤や黄や緑のぼんてんを飾ったグレイのおでかけようのワンピースを着てはしゃいでいた。やがて連れられて行ったところはいつも遊んでいる近くの山だった。父は大きな山桜の下にござを敷くと弁当をひろげた。私はだまされたくやしさに大きな声で泣きじゃくった。父は困ったような表情で「照子も大きゅうなったら姉ちゃんと一緒に花見に行けるからな。」となぐさめてくれたが、私は泣くのをやめなかった。しばらく様子を眺めていた父は、自分自身に言い聞かせるように「照子はまだ五つなんじゃな。」と小さな声で言った。声の低さに驚いて泣くのをやめ父の顔を見た。もう五十に手の届く年だった。郵便配達をしていた父は、四?五日降り続いた雨のせいで風邪気味だった。木洩れ日が顔にまだらな影を作っていた。その顔はしわが多く、青ざめて見えた。私は姉達の作った少しこげた玉子焼をあわてて口にほうりこんだ。見上げると白っぽい山桜の花が、葉の陰に見え隠れしていた。山桜をやさしくて美しい花だと思ったのは、その時が始めてだった。
父は十数年前に亡くなった。昨春、久し振りにふるさとの山へ行ってみた。でも小枝を風呂たきに使わなくなった今、誰も山へはいる人はいないらしく、昔山道だったところには木や笹がおいしげって立ち入ることができなかった。幼い日、父と一緒に弁当を食べながら見上げた山桜は人知れずに花を咲かせ続けているだろうか。それともつる草にからまれて枯れてしまっただろうか。無事でいてほしい山桜である。