五月の細い雨が静かに降りそそぎ、庭の苔を明るく緑の絨緞に変えてしまった。その苔の上に、雑草たちがお天気になるのを待ちかまえたかのように、今朝は、いっせいに頭をのぞかしはじめた。そのさまは、緑の苔の上で遊んでいる蝶の姿のようであった。
淡い小さな蝶が、緑の苔の原っぱでいっぱい遊んでいる。私はうれしくなって、小さな双葉の雑草を指でつまみあげた。
すると、白い細い真直な根が、緑の苔の中から、すうーっと抜けてくる。
この草も、すこし大きくなると、一本の根がまるで手をひろげたように、幾本にも増えてしまう。そうなると、素晴しい雑草の生命力は、土の中にしっかりと根をおろしてたくましく生長する。
すいすい、すいすい…。私は、雑草を抜いていった。
やがて、私は、この単純な草取り作業に、一種の快感に似たよろこびを見出した。
野原いっぱいに飛び交う蝶を追い駆る少年のように、今は草取りがやめられなかった。
いつの日か、小鳥が運んできた草であろうか。又新しい草が苔の中に見えた。それは、トンボのひげのような二本のかぼそい淡い草であった。
「蝶のつぎは、トンボ…。」
私は、思わず苦笑した。
春の草を取り終えない間に、もう夏の草が生え出していた。
私は、「やれ、やれ。」と一度に疲れをおぼえて立ち上り、思いきり深呼吸をした。そのとき、私は、足元の雑草を興味深く見た。それはなんと、かやつり草であった。この発見は、私を急になつかしく、愉快にした。
すっきり伸びた緑の細い柄のような茎の上に、線香花火が飛び散ったみたいな茶色の小さな花が咲く。
幼い日、夏の夕べ、涼み台の上でかやつり草をもって遊んだ。
あや取りをするように、二人で両方に引張ると、蚊帳を吊ったように四角になる。それが面白くて、いっぱい採って遊んだ。
近所の年長の子供たちから教わる遊びであって、又より小さい子供たちにと、順送りに受け継がれていった遊びであった。
その素朴な遊びを通じて、人間の優しさやいたわりや、豊かな心と心のふれあいが、友情が、私の心の奥に残った。
私は、幼い日の心の中の、かやつり草を大きくしようと、飛石の傍の一本だけ残した。