二坪程の裏庭の隅に、可愛らしい双葉の朝顔が一本芽を出した。ごみを捨てに行き、今にも踏むところだった。もうこんなに芽が伸びている。大事に育てようと思った。
五十センチ程に伸びたので、細い竹で支を立てていると夫が「頭を切り落とすと、枝分かれがして花が沢山付くよ」と教えてくれたので早速その場で頭を切り落とした。とても可哀相で、何だか悪いことをした心地であった。
数日後一つ咲いた。大きな赤紫の鮮かな花に思わず大声で「咲いたよ、咲いたよ」と夫に知らせた。吾ながら大声が恥ずかしかった。夫は、「朝の仕事がまた一つ増えたな、せいぜい花と早起きの競争をするといい」と苦笑した。
その後次々と咲き続け、頭を切り落とした蔓の下部から、数本の小枝が出て各各に長い間美しい花を咲かせてくれた。初めての試みであった。
正直言って咲く迄はこんなに私をなごませてくれるとは思っていなかった。それも毎週一日も欠かすことなく…ただどこにでもある花、子供達の好む花と軽く考えていたのに私は今更のように見なおした。
それにしてもあの細い細い蔓に、こんなに多くの花を夏の真直中に咲かせ続ける強靱な生命力は一体どこにあるのだろう。なよなよと支え木に、しがみ着いて生きているようだけれど、実は強く、たくましい力を秘めているのである。見かけによらぬとは、この事なのか。昔小学唱歌にこんなのがあった。
毎朝 毎朝 咲く朝顔は
おととい昨日と だんだん増えて
今日は 白四つ 紫五つ
私は台所の流し台の前に佇って、水道の水をじゃあじゃあ流しながら、この唱歌を遠慮なく声に出して歌った。小学生に戻ったつもりで。水の音が私の声を少し消してくれているような気がして、幾度も繰り返して歌った。
忘れいし朝顔の花見なおして歌口ずさむ
「紫五つ」