「ありゃ、電線でさえずるなんて、初めてだ」
夫は、ふしぎそうに呟いた。
三年前、私たちが引越して来た芳賀佐山団地は、なだらかな丘を住宅地に県が造成したものである。雲雀は人が住む前の先住者であったらしい。
それから二日ばかりして、今度は夫が
「ちょっと出て来い」と呼ぶ。私は台所の手をやめて、しぶしぶ出てゆくと、
「お向かいさんに、雲雀の卵を見せて頂いたから、お前にも見せてやる」
と云う。お向かいさんの隣地は、二百坪ばかりの空地で、春になると草がぼうぼうと茂る。
その中に雲雀が巣を造り、卵を生んでいると云う。夫はしきりに草の中をかき分けて探している。
「たしか、この辺りにあったんだがなあ」
私も一緒に、がさごそと草むらをひっかきまわした。
「小父ちゃん、小母ちゃん、雲雀の卵を踏まないでね」驚いて顔を上げると、広場の向こう側を五歳位の男の子が走って通り過ぎた。
さわやかな可愛い声である。
「はいはい」私と夫は顔を見合わせた。卵はとうとう見付からなかった。
その四か月後、夫は肝癌の再発で、七十三歳の生を終えた。
今年も春になると、雲雀の声が待たれた。
四月の五日頃、朝早く玄関を開けながら、初鳴きを聞いた。それから日毎に鳴き声を聞くようになり、電線の上のさえずりも、また聞けるようになった。
六月初め、古新聞を町内の人が集めに来ると云うので、私は表へ新聞を運び出し、紐で括っていた。手伝ってくれる夫は亡い。時間に間に合わせようと、汗だくになっている私を励ますように、しきりに雲雀が鳴いた。
私は、昨年夫と雲雀の卵を探していた時、
「卵を踏まないで」と話しかけた可愛い声を思い出していた。あの子も一年たった今、大きくなったことだろう。
「小母ちゃん、新聞出してくれるの。有難う。僕、持っていってあげようか」
見ると、幼稚園ぐらいの男の子が、小さな自転車に乗っている。
「新聞重いから、ちょっと無理ね。大人の方に頼んで下さいな」
と云いながら、私はアッと気が付いた。耳に残っていた、あのさわやかな声の主なのだ。
「じゃ頼んで来ます」
小さな自転車が走り去るのを、私は呆然と見送った。天からひっきりなしに、雲雀の声が降りそそいでいた。