ふいに、妹の方が自分のフルーツパフェーを一口、祖母の口に運んであげた。その横顔は、亡き義母が、よく孫たちに、「どれ、おばあちゃんにも一口味をきかせて。」と、ねだっていた姿と重なり、思わず口許がほころんだ。
今まで、あまり気にも留めなかったごくありふれた家族模様。それを、まるでまぶしいものでも見るような熱い視線でながめている自分に気づいた。彼らの気のおけない会話やしぐさが何とも心地よく、私をその場から立ち去りがたい思いにさせていた。
高一の息子と二人きりの生活となって二週間余り。突然夫から、東京支社への転勤話を告げられた時、一瞬耳を疑った。夫は、岡山に本社のあるバス会社に勤務しているが、五十歳間近の年齢で県外への転勤はなかろうと、高をくくっていただけに、私のショックは大きかった。
単身赴任?すっかり耳馴れたこの言葉も、いざわが身に振りかかってみると、想像以上に重く厳しいものがある。夫婦ともに仕事上の責任も増し、一方で、体力的な衰えを感じ始めた頃。さらには、子供の進路や教育費などの切実な問題に直面し、何かと思い悩むことの多い四十代。この時期に、家族離れ離れに暮らすことは、大きな痛手である。「四十にして惑わず」の論語の教えも、凡庸な私たち夫婦には、当てはまらない。
昨年義母が逝き、この春、長女は神戸の大学に進んだ。そしてこの七月、まさかの夫の転勤。わずか一年余りの間に、この家の住人は、五人から二人に減った。そうして、これまで味わったことのない心細さと淋しさとが、私をおそってきたのである。
しかし、知人の多くは、口をそろえたように、「いいわね、気楽で!」と私をうらやむ。確かに、「亭主元気で留守がいい」などという流行語が定着しているご時世である。けれど、自分が実際にその立場に置かれてみると、全く違うものなのだ。少なくとも、今の私には、冗談にもそんなセリフを口にできない心境なのだ…。ほのぼのとした家族のやりとりを目の前にしながら、私の心は揺れていた。
さんさん
店内の電子ピアノが「愛 燦燦」を奏でている。家族全員が大好きなこの曲。今日は、妙にじいんと響いてくる。突然目尻に熱いものがこぼれ、あわててぬぐった。
窓の外は、もうすっかり真夏の気配である。どこまでも続く青空のかなたに、東京と神戸で精いっぱい生きる夫と長女の姿が浮かんだ。私もかんばらなくては―。私は、自分に言いきかせながら、喫茶店を後にした。