社会の先生が、中学二年の次男のクラスで問われ、息子は即座に手をあげたそうだ。
「俺、なんて答えたと思う?チョコレートとは違うよ」
含み笑いしながら私に尋ねる。そんなの、私にすれば簡単。
「野口英世」
はい、これで正解。
先生は、チョコ以外のやや難しい答えに感心されたそうだが、私もきっとそう答えるだろう。幼稚園時代に繰り返し読んだ小学館の『にほんのいじん』に、書いてあったもの。
この本には、豊臣秀吉や良寛、二宮尊徳なども載っていた。しかし、いくら主君の草履を懐で温めていたとはいえ、のちに大坂辺りで贅を尽くした男が「いじん」とも、子供心に思えず、はたまた、二宮尊徳は取っつきにくい感じがして、私は野口英世ばかり読んでいた。記念碑か何かを紹介する文の、「アフリカのガーナのみやこ、アクラには」と言う書き出しまで覚えている。
ところで、その時分もの悲しくて気になった歌がある。赤い靴はいてた女の子が横浜の埠頭から船に乗る、あの歌だ。私は女の子と一緒にいる「いじん」さんが、『にほんじん』の誰かではないかと思った。良寛などもってのほかで、外国航路なら野口英世かな??????と、想像力をたくましくさせていた。
その一方で、もの悲しさのあまり、もしかしたら「いじん」さんは、人さらいではないかとも真剣に疑った。ちょうど時を同じくして、これまた小学館の『あんじゅとずしおう』を読んでいたのが影響している。赤い靴の女の子は、さんしょううおみたいな名前の「さんしょうだゆう」にさらわれたのだと思うと、私は身震いがした。そして、絶対に赤い靴をはくまいと心に決めた。さんしょうだゆうに見つかっては、とんでもないことになる。
幼い子の発想だ。「むせきにん」という人がいて、「たんぱくしつ」という部屋があると思っていた頃のことだ。また、当時住んでいた公務員住宅の庭に木切れで穴を掘り始め、これでいつか地球の裏側に行けると信じていた頃のことだ。
結局、私は、偉い人にも異国の人にも鴎外にもたいして縁がないままに、この歳まできた。ああ、こんなことなら、かわいい頃に赤い靴を買ってもらって、思いっきり軽やかにスキップしていればよかった。全く惜しいことをしたものだ。
ガーナやら豪華客船にも、私は依然として縁がない。十八年前に空路訪欧したきりで、まだ幾分娘らしさを残す写真が、古いパスポートに生意気顔でへばりついている。
そうそう、幾分小さかったので私は何一つ記憶していないが、母の話によると、風呂の焚き口近くで私の手は、おおかた野口英世の左手と同じ運命になるところだったとか。この話については、機会があれば、また今度。