家族の去った茶の間の棚に座す、〝握り仏″に久々目が行く。「お正月、ごくろうさん」と云ってくれているようで、改めてこの由縁に思いを馳せてみるのである。
もう、十年余になるであろうか。夫と共に「萩?山口」方面へのバス旅行に参加した時のこと。途中の尾道でバスを降り、「持光寺」さんで〝握り仏″作りを体験させて頂いた。広いお堂で住職の法話を聴き、一行は作業机を前にして、掌に入いる位の粘土の塊を貰った。棒状の粘土を左手に、夫々の願いを込めてギュッと握る。指あとがうまく胴体となり、頭部に耳、鼻を整え、へらで眉?目?口を描く。「仏さまが笑っているように」描きなさいと教わり、みんな真剣にとり組んだ。
ひと月余りして寺から焼き上がった〝握り仏″が届いた。いい表情に仕上がり、旅の記念だ、オンリーワンねと二人で大感激。茶の間の棚の上に飾り、眺めては安らいだ。
平成十七年の夏、元気だった夫は肺炎が元で、僅かの入院ののち他界した。悲しみに浸る余裕もなく、あわただしい弔いの行事に明け暮れ八日目の朝、息子は仕事復帰のため東京へと帰って行った。「疲れを出さぬように」と云ってくれるその掌に、夫の〝握り仏″があった。「親父だと思って傍に置きたい」と云う息子の言葉が沁みた。向こうで五人の孫に囲まれて、それもいい。私は一人で大丈夫よ、と息子を見送った。
それから数年のちの春のこと、揃って帰省した息子が、「今日は尾道あたりで遊んでくるよ。」と七人で出かけて行った。夕方帰って来た孫らが「〝握り仏″を作って来たよ」と嬉しそうに報告する。実は息子が予め調べていたらしく、私は思わず胸を熱くした。
やがて一ヶ月余のある朝、嫁より電話があり〝握り仏″七体が届いたこと、じいちゃんのを中に、賑やかに飾ったことを知らせてくれた。夫の魂は愛するファミリーの中で安らいでいるだろう。又も心が温かくなった。
思えばある日、旅の途に夫と作った〝握り仏″が話の枝葉を広げるように、わが家のこころ温まる一つの物語を作ってくれた。一人の暮らしも丸七年、趣味を楽しみ、友らと集い、身内との旅等々、七十七歳のスケジュールは結構密である。出かける折、帰った時、必ず目をやる私の〝握り仏″は、いつも微笑んで安らぎと元気をくれる。この小さな幸せを喜びとし、ひと日、ひと日を清々と生きてみようか。広い裏窓からの日ざしも空の色もやわらかである。