春の初め、裸木から萌え出た蝋梅の若葉は、日一日と青さを増し、夏を迎えるころには、涼やかな木陰を作った。庭のどの樹木よりも濃い緑葉をそよがせながら。
やがて、秋の深まりとともに、蝋梅は身にまとう衣の色を、ゆっくりとしたペースで脱ぎ変えていった。木全体が透き通るような黄土色に染まったのは、初霜が降りてしばらく経ってからのことである。師走を迎えても、二十センチ程もある細長い葉っぱの多くが、まだぴたりと小枝に身を寄り添わせていた。
カンカンに凍て付いたある朝のこと、いつものように洗濯干し場にたったとたん、懐かしい香りが鼻をかすめた。
「あっ、咲いたんだわ!」思わず声が出た。香りの主に近づき、そうっとのぞきこむと、葉っぱの茂みの中に、クリーム色の丸いつぼみが見えた。小枝中に二つずつ仲良く向き合っている。その中のいくつかが開花し、辺りに甘い香りを運んできているのだった。
つぼみがほころび、香りが日ごとに芳しさを増していくのとは反対に、それらを包み込んでいた細長い葉っぱたちは、風に誘われては、ひらひらと舞い散っていった。
ある日、天辺に残っていた数枚の葉っぱが偶然、私の目の前で静かに枝を離れ、木の根元に舞い降りたのである。まるで、別れの言葉を告げるように。そして、蝋梅の薄黄色の花だけが、神々しく気品に満ちた姿で、年の瀬の空に浮かびあがった。目の前で展開された光景に、ある種の感嘆を覚えた。
今年は、大切な人々との別れが相次いだ年だった。嫁いでからこの方、よき相談相手だった隣人のFさんとKさんが、病気で急逝した。俳句の楽しさを教えてくれたTさんや尊敬していた元同僚、世話になった二人の叔父も、闘病の末他界した。悲しみ、寂しさ、後悔……。こみ上げる思いは尽きないが、蝋梅の葉が旅立っていったように、すべてに最後の時は訪れるのだと、改めて思う。
いずれは、この美しく咲き誇る花々も、終わりの時を迎え、木の根元に降りて眠りにつくことだろう。そして、先に行った葉っぱたちとともに、水に溶け、土に染み込んで、再び新しい葉っぱを生み出す力となるに違いない。それぞれに形を変えながらも、命は確かに受け継がれ、永遠に生き続けることだろう。
小庭の隅っこに立つ一本の蝋梅の木。命のバトンを渡す光景を目の当たりにして、荘厳さを感じ、胸が熱くなった。自然の営みは、そのまま人間に置き換えられる様な気がする。
冬の光の中、精一杯に咲き誇る蝋梅の花が、一際輝いて見える。