スイスイ廻せる空想を裏切って、一回も廻らないで落ちることの繰り返し。諦めないで続けていたら、コツがつかめて次第に出来るようになり、悦に入っている。心なしかウエストに括れができたような気さえしている。出来ることなら美しく齢を寄せたい。
子らは嫁し、両親も舅姑も送り、七年前に夫は逝った。気が付けば後期高齢者の寡婦。あとは上手く”あの世“へ引っ越せたら人生は完了。不遜にもぴんぴんコロリと逝きたいなどと、希望を言うが、これほど不確かな願望はないのに。
赤ちゃんの時と高校卒業時に健康優良の表彰を頂いた。今でもその土台のお蔭で健康で快適なひとり暮らしが出来ている。しかし、何時かはこの暮らしが出来なくなることは必定、予測は不可能。まさかの時のために「意識不明の場合でも一切延命治療は要りません。痛みの軽減は切望する」と記し押印して、保険証に挿んである。独り暮らしには、それくらいの身だしなみと覚悟は要る。
もう少し寝ていたいなぁと思っても、あえて早く起きる。『早起きは三文の徳』よりも、素敵である。早朝は邪魔が入らないから、一日が順調に滑り出す。日々の決まりごとや家事を終え、コーヒータイムを楽しむ。あぁ何と言う至福。庭の手入れを楽しみ、手まめに料理を作り、読書や駄文を綴る、ひとりで居ても退屈しない。友の来訪も大歓迎。『思い立ったが吉日』で、横着しないでマメに動く。健康だからおめでたいのか、おめでたいから健康なのかは分からないが楽天気質である。
”美人にはなれぬが笑顔なら出来る“
折角、授かったあの世へ越すまでのタイムリミットだから、溌剌と颯爽と暮らしたい。
健康を過信している人の御多分に漏れず、私も医者嫌い。「健康診断だけは受けた方がいいよ」と言うが、生返事。些細な数値に一喜一憂して暮らすよりも”この命保証書ないが一生もの“と心得て、体は大切にしている。「そりゃぁ、医者へ行くより大変だ〜」と言った人がいたが、自分の健康を守るのは医者でも薬でもなく自分だと心得る。健康寿命を生きるためには、体力もだが前向きの思考力も不可欠。娘らが、母の”自律で自立の暮らし“を、黙って見守ってくれているのは、ありがたい。事前趣意書に「十分に幸せに生きた。私が私のままで死んで行くために、延命処置をしないで下さい。ありがとう」と認めてある。
フラフープを衝動買いしてから、二ヶ月、スイスイ廻り出し見映えもよくなった。少しウエストが括れたかも、は自画自賛か。「お若いですね」と褒められれば、老人だって嬉しい。前向きに生きる活力剤なのである。