「わたしを、です。今度わたしは日本語能力検定試験を受けます。その時、先生はわたしのことを思って、祈ってください」
Mさんは、コロンビア人。岩手大学に留学している。工学部で灌漑(かんがい)設備について学びながら、日本語講座にも熱心に通っている。
日本語講座は、留学生やその家族、ALTなどを対象に上田公民館で行われている。私はそのボランティア講師で、毎週各国の人達とおしゃべりするのを楽しみにしていた。
アメリカから来たSさんは酒屋で、「安いジンをください」と言うつもりで「やさいじん」と言ってしまったそうだ。「野菜人」はいませんと、酒屋さんは答えたのだろうか。中国出身のWさんは、銭湯に行って驚いた。中国語で「湯」はスープのこと。「男湯」「女湯」とは何のことだ、と慌(あわ)てたという。
さて、Mさんの受検である。
「わかりました。祈ります」
さきほどから私の返事を待っているMさんの真剣な目の力に押され、私は約束してしまった。
検定当日。祈ると言っても何をすればいいのだろう。とりあえずこの前の授業では何をやったか思い出してみる。身近なものを使って文を作る練習をした。歯ブラシは、歯をみがく時使うものです。鉛筆は、勉強をする時使うものです。じゃあスプーンは、と尋ねると、Mさんは、アイスクリームを食べる時使うものです、と答えた。甘い物に目がないMさんらしいねと笑ったのだった。
一息つこうと、コーヒーを飲む。
「コーヒーは、祈る時飲むものです」
ひとり言が出たりして、今ひとつ真剣になれない。これではいけないと、ふたたびMさんを思い出す。
一緒にコーヒーを飲んだことがあった。砂糖とミルクをどっさり入れて、どろどろになったのをおいしそうに飲んでいたMさん。今度は思い出し笑いがこみあげてきた。全く、祈るどころではない。
結局この日は儘(まま)ならぬままに一日を過ごしてしまった。その後、日本語講座はメンバーも入れ替わり、Mさんも帰国した。
数年たち、私は立場を変え、小学校の講師となり、特別支援学級を担当していた。
受け持ちのB君は、飛行機や鉄道など乗り物関係の知識が豊富で、国内外のニュースにもくわしい6年生の男の子。私は、朝一番のニュースや交通情報をB君から聞くのが日課になっていた。
B君と私は一緒に1台のパソコンに向かって、カレンダーの作成にとりかかっている。
『11月6日 お見合いの日。昭和22年のこの日、東京の多摩川河畔で集団見合い』
『11月10日 トイレの日。いいトイレの語呂合わせ。日本トイレ協会が制定』
カレンダーには、B君が調べた記念日情報が盛り込まれている。
「11月分、完成」
さて、私とB君の間には、カレンダーを作るにあたりひとつ約束があった。それは、できあがったら6年教室に持って行くこと。B君は交流学習をしており、社会や理科、学校行事などは6年生の学級に入って参加していた。カレンダーを届けることは、直接人と向き合ってコミュニケーションをとることに苦手意識のあるB君にとっては大仕事だ。
早速、リハーサルを始める。6年教室のドアをノックしてカレンダーを置いてくるまでの一連の動きを、繰り返しやってみる。
「もし、ドアが最初から開いていたらノックはどうしますか」
「先生がいなかったら……」
「休み時間で、みんなが席についていない時はどうしたらいい」
B君が想定した事態について、シミュレーションを行い、一つひとつクリアしていく。そして、あとは行くばかりとなった。
カレンダーを手にしたB君は、口元を引き締め、どこか一点を見据えている。やがてひとつ深呼吸をすると、教室を出て行った。
B君の足音が遠ざかる。
私はその場に立ちすくむ。どうしたことか身動き一つとることもできなかった。心が、ひたすらB君を追い求め、何も手につかない。
「そうか、これだ」
突然わかった。これが祈る気持ちなんだと。
さっきまで先生、先生と呼びかけてきたB君は、もはや私の手の届かないところにいる。一人で正念場に立つB君に、今、私ができることといったら、祈るだけ。目を閉じて、ただただ祈る。
B君と重なって、Mさんの顔が浮かんできた。あの検定の日、Mさんに頼まれた、祈るという気持ちが、今なら自然にこみ上げてくるような気がした。
祈りのさなか、なんだかコーヒーが飲みたくなってきた。