一ヵ月後、あの決意をすっかり忘れて、学校生活にのめり込んでいる自分がいた。この言葉は、働きながら夜学に通い、二十六歳で会社を立ち上げ、叩き上げの商売人だった親父が自分に残した遺産だ。
西郷隆盛に、「児孫のために美田を買はず」という遺訓がある。「財産を残すと、子孫の精神が安逸に流れやすいからそのようなことはしない」という戒めである。
親父は、「児孫のために美田を買えず」であったのだろうが、鍬だけは買ってやるから、後は自分の力で荒地を切り開き、田畑を耕せと教えてくれたのであろう。その鍬のおかげで、自分は今日までともかくも生きてこられたような気がする。そして、自分もまた、相変わらず美田を買えないままに、使い古したその鍬を二人の坊主に譲り渡した。今彼らがその鍬で汗を掻きながら田畑を耕している。