当時、自宅の周囲には買い物ができる店はなく、買い物は両親の車で行くのが常であった。
母の日当日「お母さん、花屋さん行きたい。」「なんで?」「いいから連れてって。」
母のカーネーションを買うことは秘密のため、理由を言えず、やっとのことで母の車で小さな花屋に連れていってもらった。
母の車の中で、私はポケットに100円玉を2枚入れた財布を何度もこっそり確かめて、母がカーネーションを受取り感嘆の声を挙げることを想像し一人、誇らしい気持ちになっていた。
母の日当日ということで、店内は真っ赤なカーネーションで溢れかえっていた。目的のカーネーションを探してウロウロする私。しかし、店に置いてあったカーネーションは一番安いもので1本300円だった。
私の財布には200円しか入っていない。花束はおろか、1本のカーネーションさえ買うことができない。
私はカーネーション「1本300円」の値札の前で立ち尽くした。
グズグズしている私に母が「買うものあった?」と声をかけてきた。「お金が足りん…」俯いて答える私。「いくら持って来たの?」「200円…」
母は何も言わず、自分の財布から100円玉を出し私に握らせた。
母の足してくれた100円と自分の200円で私はカーネーションを1本買うことができた。ねだって花屋まで連れてきてもらったのに結局母にお金を足してもらったこと、母をビックリできなかったこと、恥ずかしさや悔しさが込み上げ、店員から受け取ったカーネーションは、そのまま、母にぶっきらぼうに押し付けた。
月日は流れ私も5歳の子供の父親になった。父の日に子供が描いた似顔絵を目尻を下げて喜んでいる。今ならわかる。無言で渡したカーネーションに込められた想いがきっと母に届いていたと。子供が一生懸命に選んでくれた物はかけがえのない贈り物として母に届いていたと。
母は今でも健在だ。毎年の母の日にはつい枯れて無くなるカーネーションより、実用品を贈っている。次の母の日には久しぶりにカーネーションを贈ってみるか。ちゃんと自分の小遣いで買ったカーネーションを。