身重だった妻が体調をくずして緊急入院した病院から夜中、赤ちゃんが生まれそうとの連絡が入った。とるものもとらず、すぐさまかけつけると、妻は一人、ベッドにいた。「赤ちゃん、産まれたわ。」ねぎらいの言葉をかけた僕に、妻はやさしい笑顔をくれると、寂しそうな面持ちで「別のお部屋にいるの。」と言った。娘がいるという部屋の壁は一面ガラスばりになっていて、小さめの赤ん坊がこれまたガラスばりの保育器に寝かされていた。一ヶ月半も早く生まれてきた娘のカラダにはたくさんのクダがついていた。僕は、みじろぎしない赤ん坊に話しかけると、思いが通じたのか、小さなあんよをゆっくり動かし出した。それは、まるで僕に何かを伝えようとしてくれているようだった。僕はその時、娘に約束をした。
「まだ名もない君へ。君には苦しい思いをさせてしまったね。この世にやって来るのが少し早すぎた分、だれよりも楽しいと思ってもらえるよう、パパはがんばるからね。」
二重のガラスごしに伝えた一方通行の約束。娘は今年で小学五年生。毎日、元気に学校へ行き、将来はアイドルになることを夢見ていて、今では僕の一番の話し相手になってくれている。娘よ、ガラスごしに伝えたあの約束のことを君は知らないだろう。こっちもてれくさくて今さら口にできないでいる。でも、君がたくさんの笑顔をふりまいてくれる姿を見るたびに、あの約束は一方通行ではなかったのではと思うのだ。君のおかげで、ささやかでも幸せを積み重ねていく素晴らしさに出逢えた気がするから。
「生まれてきてくれてありがとう!」
透き通ったカメの水槽の向こうにすけて映る、日々、背伸びしながら大人になっていく娘の淡紅色の未来を、僕はひとり、想っていた。