昼休み、弁当の蓋を開けると、ご飯の表面には、のりで眉や目や鼻を、桜でんぷんで口や頬を描いて、母は、その日の自分の気持ちを表していました。時には怒った顔、時には悲しい顔、まれに、にっこりとした笑顔もありました。前の日に母と喧嘩をしたときは、決まって怒った顔が書いてありました。最近は、キャラ弁、デコ弁などお弁当に工夫を凝らして、ブログなどで発表される方も多いのですが、もう三十年以上前になりますから、母の弁当は元祖デコ弁かもしれません。
そのころ、特に中学生のときは、ほとんど母とは口を聞かず、聞いたとしても、私が怒鳴ったり文句を言ったりするばかりでした。思春期や反抗期、いろいろな理由があったのですが、「なんでぼくのことを生んだんだ!ばかやろう!」そんなことを口走った次の日は、決まって悲しい顔が書いてありました。
「いってきます。」「ただいま。」も言わないで、無言で弁当を持って学校へ行く息子に、何かを伝えようと、弁当に託していたのでしょう。母が私に気持ちを伝えようとした元祖デコ弁の顔を、ときどき思い出します。どんなときでも、私とのコミュニケーションを諦めたり、私を見捨てたりしなかった母は、すごいと頭が下がります。ごめんね、かあちゃん。
お弁当の中に入っていた塩辛い卵焼きをときどき食べたくなります。実家に帰ったとき母に「何が食べたいんだい?」そう聞かれて「弁当に入っていた卵焼き」と、そう言ったら、「せっかく来たのに、そんなものでいい?」と言っていましたが、私にとっては、母を思い出すお袋の味。いちばんのごちそうなのです。