寝ぼけまなこで受話器を取ると、母の親友からだった。
「お母さんね、若年性アルツハイマーになっちゃったの」
それはそれは、あまりにも唐突で衝撃的な宣告だった。私が不在の4年間に何が
起こってしまったのだろうか。
「これからは、毎日介護生活で仕事も辞めなければいけないだろう」
「大好きな海外旅行だって行けない」
「子供を出産し育てる事はできるだろうか」
次から次へと絶望的で暗澹たる思いが迸る。
それよりも変貌した母を見るのは怖い。鬱念をかかえて帰国した私を、母は空港
で出迎えてくれた。
ニコニコと私を見上げ、少しおどおどした様子で、「お帰りなさい」と一言。
私はおそるおそる、色々な事を尋ねてみた。
どんな生活を送っていたのか、母の軌跡を辿りたい一心で。母はどれ1つとして
まともに答えられない。あれほど饒舌で快活だった母が。
最初の仕事は、家の中の大掃除。片付ける事の出来なくなった母の家は、ごみ屋
敷そのものだ。少しづつ母の生活の断片が見えてくる。記憶力が減退していた母
は、所々にメモを書き残していた。
「通帳は、赤い椅子の中。印鑑は玄関の引き出し。望への国際郵便を5月15日発
送。望の帰国日6月20日。望の誕生日8月15日・・・」
母の心の中心はいつも私であった事。
薄れ行く記憶を繋ぎとめる為に、残したい言葉をたどたどしくも綴ってくれた事。
母の私への思いがじんわりと伝わってきた。私がここで母を放棄するなんて到底
できやしない。いつまで続くか分からないが、母との2人3脚の生活を終点駅まで
乗り継ごうと心に決めた。失われた4年間は甚大だが、これからその2倍、3倍の
時間をかけて、母の空っぽの記憶と私との距離を埋めていきたいと思うから。