そこにあったのは、痩せて小さくなった母の背中。「親父の背中を流す」という話はよく聞きます。小さい頃から見て育った親父のその背中は、きっと大きいのでしょう。でも、親父のいない私が見て育ったのは、母のこの背中。どんなに痩せて小さくなっていても、私にとっては、他の誰よりも偉大な背中なのです。
溢れ出そうになる感情を、必死で押し殺しながら洗いました。あいにく、人の髪を洗うことを生業としているわけではなく、また「お背中流しましょうか?」などという機会もない私、なかなか上手くは洗えないものです。「かゆいところない?」と、どこかで聞いたようなセリフを言いながら、ただただ一生懸命洗いました。
泡のついた髪と背中を綺麗に洗い流し、母に終わりを告げ、私が浴室から出ようとすると、その綺麗になった背中越しに「ありがとう」と母。「はい、はい」とだけ答えた私。
今までに、私が母から受けた恩の数々を考えれば、背中を洗い流すことぐらい、全然大したことではない。だから、本当は感謝などしてもらわなくても構わないのです。寧ろ、こういう機会を持てたことに、私の方が感謝したいぐらいなのですから。
でも、私は「ありがとう」なんて照れくさくて、とても言えそうにないので、また、背中を流させてください。「お背中流しましょうか?」が、私から母への「ありがとう」の代わりなのです。