胸倉を掴まれた瞬間、私はギョッとし、それから自分が一気に老け込んでいくような気がした。それまで言葉で反抗されることはあっても、手を出されることは一度もなかった。ちょっとした諍いで女房を殴ろうとする私を息子が制した。
「オフクロの一人ぐらい、俺が面倒見るぞ」
私の完敗だった。コイツ、いつの間にかすっかり一人前になってやがる――胸にほろ苦いものが込み上げて来た。
幼児の頃、難病で生死の境を彷徨った息子。
「パパ、僕、痛くても我慢するよ」
ストレッチャーで手術室に運ばれるときの土気色の顔を私は忘れたことがない。
長い眠りから目を覚まして、「ここはどこ?」と、息子が小さな声で囁いたとき、私は思ったものだ。
<俺はコイツに何も望まない、生きているだけで親孝行、それで十分だ>
長じるに従って、人に大甘と言われようが、息子の好きなように道を選ばせた。高校入試のときも、ミュジシャンになりたいと言ったときも。
「三十歳まで俺の好きなようにさせてくれ」
三流の高校に進学し、仲間とバンドを結成、卒業後は働き蟻と歌って踊るキリギリスの掛け持ち――真昼間から夢を見ている息子。
「分かったから、もう手を放せ」
女房への憤懣はかき消え、大人しくなった私と、息子の激昂に面食らっている女房を交互に見ながら息子が諭す。
「オヤジはもっとオフクロを大事にしろよ。オフクロもオヤジを思いやれ、外で働くって大変なことなんだからな」
心の内で拍手をしているバカなオヤジ。