数日後には幼稚園が始まり、近所の家族との交流も始まったが、大阪での暮らしに比べればさみしいものだった。それでも育児に追われながら日々は過ぎていった。
その年の冬、ベランダで洗濯物を干していると、カラスたちが目の前を、上から下へと飛んだ。さらに見ていると、数十羽はいるであろうカラスたちが、マンションの屋上から前の林に向かって、次々に滑空していく。遊んでいるの?私はにわかに興味を抱いた。
それからひと月、カラスたちは群れることをやめ、一組の夫婦が前の林で巣を作り始めた。一方私は、長男は幼稚園、長女は近所のお友だちとままごと、二女は私の背中におんぶ。自分の髪をとくゆとりもない日々であったが、ベランダの横を通るたび、カラスの夫婦のことが気になるようになっていた。もっとよく見るために、夫に中古の望遠鏡を買ってきてもらいベランダに据え付けた。
やがて巣が完成し、一羽が巣に座り続けるようになった。卵を産んだのだろう。そんなある日、カラスのあわてた鳴き声がした。巣の横にカラスより少し大きめの鳥がとまっている。図鑑を手に望遠鏡をのぞく。オオタカだ。これは大変!カラスの夫婦は声を出し、旋回し、タカを脅かそうとしている。タカは身じろぎもしない。長男の幼稚園のお迎えの時間が迫ってきた。観察を中断し、娘二人を連れて片道三キロの道のりを自転車でかっ飛ばし、お迎えに行って帰った。オオタカはまだいた。それから小一時間、タカは卵には手を出さず、西の空に去っていった。よかった。
木々の新芽が膨らんできた頃、雛が生まれた。夫婦は怖い敵の侵入を防ぎながら餌を調達しなければならない。望遠鏡のむこうに見える夫婦の顔は眦を決しているように見えた。
ある冷え込んだ日の明け方、カラスの夫婦が激しく鳴きわめく声に私は飛び起きた。今までで最上級の危機だと感じた。夫婦は木の根元に向かって急降下と上昇を繰り返していた。望遠鏡をのぞくと、朝もやの中、タヌキが木に登り始めていた。私は手に汗を握った。鼓動が高鳴った。数分後、タヌキはあきらめて木を降りて行った。心底ほっとした。
それから雛はすくすく育って、巣の外に出るようになり、やがて飛べるようになり、新緑の頃には家族で出かけるようになった。
懸命に子育てするカラスの姿は、育児に自信を失いかけていた私に勇気を与えてくれた。心が折れそうな時も、カラスを見て自分を励ますことができた。もはやカラスは同志であった。子ガラスたちが親離れして再び群れる頃には、私も岡山の暮らしに慣れた。ご近所さんとも楽しく話せるようになった。
カラスの夫婦さん、ありがとう。できることなら我が家にお招きして子育て談義がしたかったです。