今から五、六年前のことである。
竹林の仙人こと富士正晴氏と私は、一心にひとつ所をみつめていた。
そこは富士さんの書斎で、積み上げられた本の隙間から辛うじて見える庭の一隅に、二匹の蛙がにらみ合っていたのである。
「見てな、今に小さいのが呑まれる」
富士さんの言葉が終わるより早く、大きな蛙がぱくっと小さな蛙を呑んだ。
いや、正確には小さな蛙のお尻を咥《くわ》えたのである。大きな蛙はギロリと私たちの方へ目玉をまわして、
「どうじゃ、うまいもんだろう」
と言った。
「うん、ようやった。しかしおまえ、そいつをほんまに呑むのんか。かわいそやないか」
富士さんの言葉は大蛙をけしかけるに十分のニュアンスだった。
大蛙は鼻の穴をふくらませ、腹式呼吸を整えると、四つの肢《あし》を踏んばってみせた。
じりっ、じり、じりっと小蛙が呑まれていく。二ミリ、三ミリ、おお十ミリも。
とうとう小蛙は頭と手だけになった。
でも小蛙には自分の運命がわからない。
「どうしたのかな? お尻のあたりがぬめぬめと締めつけられていい気持ちなんだけど。ねえおじさん、ぼくどうなるの」
小蛙のこの質問には竹林の仙人も困ったようだ。
「目をとじろ、アホ! 目えつぶれちゅうに」
そうして、目をつぶったのは仙人と私であった。
世はすべて事もなく。二匹の蛙は一匹となり、竹林の小さな池はさざ波も立てなかった。
今年(昭和六十二年)の七月十五日午前七時、竹林の主は一人で死んだ。
悪い男と心ひとつに薔薇を見た
あの日の蛙の、小さい方の蛙のように、富士正晴はお尻からあの世とやらへ呑まれていったにちがいない。
「アホ! 目えつぶれちゅうに……」
すこしだけ世を拗《す》ねて、無類に大きくやさしかった男が消えた。
すべて世は事もなく。コスモスが揺れている。
「アホ! 目えつぶれちゅうに……」
すこしだけ世を拗《す》ねて、無類に大きくやさしかった男が消えた。
すべて世は事もなく。コスモスが揺れている。