考えてみれば私など坦々たる半生であったとしみじみと思う。
特に、肉体を病むということについては恵まれて今日に至っている。
そういう私にも持病はあって、時と所かまわずやってくるそれを、私は「四十分病」と呼んでいる。それは疲れているからとか、興奮したからとか、睡眠不足などに一切関係なく襲ってくるのである。
順序も決まっていて、まず物が見えなくなる。格子柄やら縞模様がチラチラして目が開けておられない。目を閉じればどうということはないので、電話などの応答はできる。しかし、気分がよい筈はないので家に居れば横になる。四十分だ、四十分だと自分に言いきかせる。無念無想の四十分。そろりと目を開ける。片目ずつ開けてみる。すべての物がふつうに見え、チラチラは消えている。ああよかった。深呼吸して静かにからだを起こす。軽い頭痛が残っているが無性におなかが空いて何か食べずにおられない。立つ、坐す、頭のどこかがビンビンするのが約半日。これでAコースの完了というわけである。
外出時は少し困るけれど、とにかく目を閉じて四十分待てばよいので、電車の中などは平気である。講演中にこれに襲われたが気づかぬふりで通り抜けた。
人に話すと、それはただごとではないと言われるので話さない。もう二十年もこの一病を持って息災なのだから、血管が切れるときは切れてサラバだとひらき直っている。
でもまあ私にも命が惜しい時期はあるので、一カ月一度の眼底検査や血圧測定は怠っていないのである。
そもそもこの「四十分病」の原因は二十年前に物干しからまっさかさまに墜落したことにあると思っている。当時「ベン・ケーシー」というテレビドラマがあって、やたらと脳を割っていたので私もすぐに脳外科へ行ったのである。「ちょっと脳を割ってみてください」──あれほどあきれた医者の顔を見たことがない。
以来私は頭がおかしくなったと信じているわけで、ねずみと話したりタンポポに一時間もしゃがんでその歌を聞いたり、人に恋せず水に恋してみたりするのもすべて、あの外科医のせいにしている。
厄介な「四十分病」も久しく訪れないとさみしくて、横になって待ってみるのだが、来ないときは来ないもので、仕方なく私はどこででも眠ってしまう。
どんなにおん身大切にしている人でも死ぬるときは死ぬ。生まれたときに定められたそれを知らない倖せに生きておれば必ずその刻に会えるのである。
うららかな死よその節はありがとう