年の瀬も押しつまってくると、玄関のピンポンピンポンもいそがしい。
集金もあるけれど、私の場合は全国からのお歳暮がひっきりなしのありがたさである。
お歳暮、頂戴物の好みをどう言えば先様にわかってもらえるのだろうか。
わが家のきらいな物にしても、「お歳暮せっかく頂きましたが、うちでは見るのもきらいでして」とはいくら私でも書けない。
そこで、「ありがとう。とても美味しかったです。ごはんのお代りをしたほどよ」なんて調子よく書くものだから、毎年、毎年、きらいな物が届けられることになる。
実にもったいない。
この暮にも、ママカリの酢漬をそっとゴミ袋にしのばせ、生ハムは冷蔵庫で半年生きて死ぬことになりそうだ。
両親や子や友人にたらいまわしするすべは知っているけれど、生モノは留守中に宅配便の倉庫でねむっていたりして「ご賞味期間」がとっくに過ぎている。
あやしい品を送って友人に腹痛を起こさせるわけにいかないし、肉親というのは好き嫌いも似ていて「要らないよ」とニベもない。
果物はどんな物でもありがたくて、これは近所中へ配りまわる。
私はあわて者だから、リンゴ箱の絵を見てすぐにハガキを書いた。「まあ何と粒ぞろいの美味しいりんごでしょう! ありがとう」。
するとその人から電話があって、中味はみかんだということだった。このときほど赤恥かいたことはない。そこで、いくらいそがしくても荷ほどきをしてから礼状をしたためる。
今年はホント、荷ほどきで赤ギレができるほどお歳暮を頂いてしまった。
でも、お歳暮のたらいまわしはまだよい。私の知人は老母のたらいまわしをやっている。その人は六人兄弟だから、二カ月ずつ母上を預かってはまわすのだと言っていた。冬場は困るとかその上に文句をいう兄弟もいて難儀ですわ、とその人は笑っていたが、私は、孫にもらったズックカバンに着替えを詰めては移動するジプシー婆さんを見て涙が出た。
不意に来たことにしておく母の下駄