清さんが、まだ若いときのこと、あちらの山を越したことがありました。いいお天気の日で、空はよく晴れて雲の影もありませんでした。山や、谷の木の葉は、きらきらと日に輝いていました。ちょうど高い山の頂にさしかかると、一人の男が、石に腰をかけて、なにか、しきりにやっています。見ると、金光りのする、日月ボールでけいこをしているのでした。こんなところで、どうしたのだろうかと思うと、きちがいででもあるような気がして、怖ろしくなって急いで、山を下ったというのであります。
「小父さん、どうして、そんな山の上で、日月ボールをしていたんだろうね。」
「だから、きちがいかと思ったのさ。」
「きちがいでなかった?」
「それは、わからない。」
「どうして、そのボールは、金光りをしていたんでしょうね。」
「きっと、金粉を塗ったのだろう。そうでなかったら、重くて、けいこなんか、できやしない。」
「不思議だな。」
「ああ、それからは、小父さんは、夜になって、あちらの空で、星が、ぴかぴか光るのを見ると、あの男が、いまでも、あの高い山の上で石に腰をかけて、日月ボールをやっているように思うのさ……。」
清さんは、こんな話をしました。孝ちゃんは、たとい、きちがいにしても、どうして、一人で、そんなところへいったのだろう? そしてそれから、その人は、どうしたろう……と、考えずにいられませんでした。
「小父さん、きちがいにちがいないね。」
「いや、そうでないかもしれぬ。」
「そうでないのなら……。」
「ほんとうに、孝坊のように、だれも、ゆかない山ん中で、一心に、日月ボールをうまくなろうとけいこしていたのかもわからないじゃないか。」と、清さんは、笑いました。
「だって、そんな人は、ないだろう。」と、孝ちゃんは、いいました。
清さんは、また、その後、その男に似た男を見たというのです。それは、ある小さな町の祭りの日でした。神社の境内に、見せものや、食い物店が出ました中にまじって、いいかげんに年とった男が、日月ボールを売っていたというのであります。
その男は、赤い日月ボールを手に持って、上手に、ポン、ポン、受けていました。
「さあ、だれでも、じきにうまくなれますよ。こういうように、一度も、落とさずにうまくやれたら、ここに並べてある、外国の切手でも貨幣でも、また水晶・さんご、なんでも、欲しいと思うものをあげます。はやく、日月ボールを買ってけいこをなさい。じきにうまく、それは、おもしろいようにできますよ。」
男は、横を向きながら、また、話をしながら、上手に日月ボールを落とさずに、ポン、ポン、やっていました。
子供たちは、その男を取り巻いて、感心して見ていました。そして箱の中に、並べてある珍しいものにも見とれていました。清さんは、その男が、山の上で、日月ボールをやっていた男に似ていたというのでした。
「日月ボール一本二十銭、買わずにやってみようというなら五銭、うまくやれば、外国の古い切手でも、貨幣でも、紫水晶でも、なんでもあげます……。」
その男は熱心にしゃべっていたのです。
「その男は、子供をだます、悪い男だったが、そのとき持っていたのは、金光りでなく、赤い日月ボールだった。」と、清さんはいいました。
「ほんとうのこと?」と、孝ちゃんは、清さんの顔を見上げました。
「ああ、ほんとうにあったことさ。」
清さんは、まじめに答えました。清さんのぼろ自動車にも、ときどき、お客がありました。清さんは、人間がいいから、近所の人々は、しぜん乗るようになったのでした。このときも、ちょうどお客があって、清さんは、出かけてゆきました。