英语
韩语
法语
德语
西班牙语
意大利语
阿拉伯语
葡萄牙语
越南语
俄语
芬兰语
泰语
丹麦语
对外汉语
日语学习网
TAG标签
收藏本站
网站地图
RSS订阅
TAG列表
关键字列表
日语词典
日语翻译
首页
日语入门
高考日语
日语听力
日语口语
日语阅读
日语词汇
日语语法
日语考试
走进日本
日语歌曲
日语下载
日语背单词
搜索
搜索
热门标签
日本名家名篇
日语名篇
作品合集
分享到:
日语童话故事
日语笑话
日语文章阅读
日语新闻
300篇精选中日文对照阅读
日语励志名言
日本作家简介
三行情书
緋色の研究(血字的研究)
四つの署名(四签名)
バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬)
恐怖の谷(恐怖谷)
シャーロック・ホームズの冒険(冒险史)
シャーロック・ホームズの回想(回忆录)
ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记)
鴨川食堂(鸭川食堂)
ABC殺人事件(ABC谋杀案)
三体
失われた世界(失落的世界)
日语精彩阅读
日文函电实例
精彩日文晨读
日语阅读短文
日本名家名篇
日剧台词脚本
《论语》中日对照详解
中日对照阅读
日文古典名著
名作のあらすじ
商务日语写作模版
日本民间故事
日语误用例解
日语文章书写要点
日本中小学生作文集
中国百科(日语版)
面接官によく聞かれる33の質問
日语随笔
天声人语
宮沢賢治童話集
日语随笔集
日本語常用文例
日语泛读资料
美しい言葉
日本の昔話
日语作文范文
从日本中小学课本学日文
世界童话寓言日文版
一个日本人的趣味旅行
《孟子》中日对照
魯迅作品集(日本語)
世界の昔話
初级作文
生活场境日语
時候の挨拶
グリム童話
成語故事
日语现代诗
お手紙文例集
川柳
小川未明童話集
ハリー・ポッター
返回首页
当前位置:
首页
»
日语阅读
»
小川未明童話集
» 正文
空晴れて
时间:
2022-11-18
进入日语论坛
核心提示:空晴れて小川未明山間さんかんの寂さびしい村むらには、秋あきが早はやくきました。一時じ、木々きぎの葉はが紅葉こうようして、
(单词翻译:双击或拖选)
空晴れて
小川未明
山間
さんかん
の
寂
さび
しい
村
むら
には、
秋
あき
が
早
はや
くきました。一
時
じ
、
木々
きぎ
の
葉
は
が
紅葉
こうよう
して、さながら
火
ひ
の
燃
も
えついたように
美
うつく
しかったのもつかの
間
ま
であって、
身
み
をきるようなあらしのたびに、
山
やま
はやせ、やがて、その
後
のち
にやってくる、
長
なが
い
沈黙
ちんもく
の
冬
ふゆ
に
移
うつ
らんとしていたのです。そこにあった、みすぼらしい
小学校
しょうがっこう
へは、
遠
とお
く
隣村
となりむら
から
通
かよ
ってくる
年老
としと
った
先生
せんせい
がありました。
日
ひ
の
長
なが
い
夏
なつ
のころは、さほどでもなかったが、じきに
暮
く
れかかるこのごろでは、
帰
かえ
りに
峠
とうげ
を一つ
越
こ
すと、もう
暗
くら
くなってしまうのでした。
「
先生
せんせい
、
天気
てんき
が
変
か
わりそうです。
早
はや
くお
帰
かえ
りなさらないといけません。」
少年小使
しょうねんこづか
いの
小田
おだ
賢
けん
一は、いったのでした。
子供
こども
たちは、すべて
去
さ
ってしまって、
学校
がっこう
の
中
なか
は、
空
あ
き
家
や
にも
等
ひと
しかったのです。
教員室
きょういんしつ
には、
老先生
ろうせんせい
が、ただ
一人
ひとり
残
のこ
って、
机
つくえ
の
上
うえ
をかたづけていられました。
「
小田
おだ
くん、すこし、
漢文
かんぶん
を
見
み
てあげよう。
用
よう
がすんだら、ここにきたまえ。」と、
老先生
ろうせんせい
は、いわれた。
「
先生
せんせい
、しかし、あらしになりそうです。また
暗
くら
くなって、お
帰
かえ
りにお
困
こま
りですから。」と、
小田
おだ
は、
遠慮
えんりょ
したのでした。
彼
かれ
は、この
小学校
しょうがっこう
を
卒業
そつぎょう
したのだけれど、
家
いえ
が
貧
まず
しくて、その
上
うえ
の
学校
がっこう
へは、もとより
上
あ
がることができなく、
小使
こづか
いに
雇
やと
われたのでした。そして、
夜
よる
は、この
学校
がっこう
に
泊
と
まって、
留守番
るすばん
をしていました。
雪
ゆき
がたくさんに
積
つ
もると、
老先生
ろうせんせい
も、
冬
ふゆ
の
間
あいだ
だけ、
学校
がっこう
に
寄宿
きしゅく
されることもありました。
先生
せんせい
は、
小田
おだ
が
忠実
ちゅうじつ
であって、
信用
しんよう
のおける
人物
じんぶつ
であることは、とうから
見
み
ていられたので、
彼
かれ
に、
学問
がくもん
をさしたら、ますます
善
よ
い
人間
にんげん
になると
思
おも
われたから、このごろ、
暇
ひま
のあるときは、わざわざ
残
のこ
って「
孝経
こうきょう
」を
教
おし
えていられたのです。
ぱらぱらといって、
落
お
ち
葉
ば
が、
風
かぜ
に
飛
と
ばされてきて、
窓
まど
のガラス
戸
ど
に
当
あ
たる
音
おと
がしていました。
「
子曰夫孝天之経也
しのたまわくそれこうはてんのけいなり
。
地之義也
ちのぎなり
。
民之行也
たみのこうなり
。――この
経
けい
は、サダマリというのだ。そして、
義
ぎ
は、ここでは
道理
どうり
という
意味
いみ
であって、
民
たみ
は
即
すなわ
ち
人
ひと
、
行
こう
はこれをツトメというのだ。」と、
老先生
ろうせんせい
は、
教
おし
えていられました。
賢
けん
一は、
頭
あたま
を
垂
た
れて、
書物
しょもつ
の
上
うえ
を
見
み
つめて、
先生
せんせい
のおっしゃることを、よく
心
こころ
に
銘
めい
じてきいていました。
やがて、
講義
こうぎ
が
終
お
わると、
先生
せんせい
は、
眼鏡
めがね
ごしに、
小田
おだ
を
見
み
ていられたが、
「
時
とき
に
小田
おだ
くん、
君
きみ
はたしか三
男
なん
であったな。」と、きかれた。
「はい、そうです。」
「べつに、
農
のう
を
助
たす
ける
人
ひと
でないようだな。それなら、
東京
とうきょう
へ
出
で
て
働
はたら
いてみないか。いや、みだりに
都会
とかい
へゆけとすすめるのでない。」と、
先生
せんせい
は、おっしゃられた。
「
先生
せんせい
、
私
わたし
はまだそんなことを
考
かんが
えたことがございません。」
「いや、それにちがいない。どこも
就職難
しゅうしょくなん
は
同
おな
じい。ことに
都会
とかい
はなおさらだときいている。それを、こういうのも、じつは、
昔
むかし
、
私
わたし
の
教
おし
えた
子
こ
で、
山本
やまもと
という
感心
かんしん
な
少年
しょうねん
があった。
父親
ちちおや
は、
怠
なま
け
者
もの
で、その
子
こ
の
教育
きょういく
ができないために、
行商
ぎょうしょう
にきた
人
ひと
にくれたのが、いま一
人前
にんまえ
の
男
おとこ
となって、
都会
とかい
で
相当
そうとう
な
店
みせ
を
出
だ
している。このあいだから、だれか
信用
しんよう
のおける
小僧
こぞう
さんをさがしてくれと、
私
わたし
のところへ
頼
たの
んできているのだが、どうだな、
苦労
くろう
もしてきた
主人
しゅじん
だから、ゆけばきっと、
君
きみ
のためになるとは
思
おも
うが。」と、
先生
せんせい
は、いわれたのでした。
「
今夜
こんや
、ひとつよく
考
かんが
えてみます。」と、
賢
けん
一ははっきりと
答
こた
えた。
先生
せんせい
は、
帰
かえ
る
仕度
したく
をなされた。
彼
かれ
は、
途中
とちゅう
まで
先生
せんせい
を
送
おく
ったのです。
橋
はし
を
渡
わた
ると、
水
みず
がさらさらといって、
岩
いわ
に
激
げき
して、
白
しろ
く
砕
くだ
けていました。ところどころにある、つたうるしが
真
ま
っ
赤
か
になっていました。なんの
鳥
とり
か、
人
ひと
の
話
はな
し
声
ごえ
と
足音
あしおと
に
驚
おどろ
いて、こちらの
岸
きし
から、
飛
と
びたって、かなたの
岸
きし
のしげみに
隠
かく
れた。
彼
かれ
は、
先生
せんせい
と
別
わか
れてから、
独
ひと
り
峠
とうげ
の
上
うえ
に
立
た
ちました。まだそこだけは
明
あか
るく、あわただしく
松林
まつばやし
の
頭
あたま
を
越
こ
えて、
海
うみ
の
方
ほう
へ
雲
くも
の
駆
か
けてゆくのがながめられたのでした。
その
夜
よ
、
小使
こづか
い
室
しつ
の
障子
しょうじ
の
破
やぶ
れから、
冷
つめ
たい
風
かぜ
が
吹
ふ
き
込
こ
んできました。
賢
けん
一は
常
つね
のごとくまくらに
頭
あたま
をつけたけれど、ぐっすりとすぐに
眠
ねむ
りに
陥
おちい
ることができなかった。
「
都会
とかい
が、いたずらに
華美
かび
であり、
浮薄
ふはく
であることを
知
し
らぬのでない。
自分
じぶん
は、かつて
都会
とかい
をあこがれはしなかった。けれど、
立身
りっしん
の
機会
きかい
は、つかまなければならぬ。
世
よ
の
中
なか
へ
出
で
るには、ただあせってもだめだ。けれど、また
機会
きかい
というものがある。
藤本先生
ふじもとせんせい
は、
私
わたし
に、
機会
きかい
を
与
あた
えてくださったのだ。
先生
せんせい
のお
言葉
ことば
に
従
したが
って、ゆくことにしよう。」と、
思
おも
ったのでした。
晩方
ばんがた
から、
変
か
わりそうに
見
み
えた
空
そら
は、
夜中
よなか
から、ついに、はげしいしぐれとなりました。
彼
かれ
は、
朝早
あさはや
く
起
お
きて、
学校
がっこう
の
中
なか
のそうじをきれいにすましました。そして、
囲炉裏
いろり
に
火
ひ
を
起
お
こして、
鉄瓶
てつびん
をかけて、
先生
せんせい
たちがいらしたら、お
茶
ちゃ
をあげる
用意
ようい
をしました。そのうち、もう
生徒
せいと
たちがやってきました。やがて、いつものごとく
授業
じゅぎょう
が
始
はじ
まりました。
休
やす
みの
時間
じかん
に、
彼
かれ
は、
老先生
ろうせんせい
の
前
まえ
へいって、
東京
とうきょう
へ
出
で
る、
決心
けっしん
をしたことを
告
つ
げると、
「
君
きみ
がいってくれたら、
山本
やまもと
くんも
喜
よろこ
ぶだろう。ただ
注意
ちゅうい
することは、
第
だい
一に、なにごとも
忍耐
にんたい
だ。つぎに、
男子
だんし
というものは、
心
こころ
に
思
おも
ったことは、はきはきと
返事
へんじ
をすることを
忘
わす
れてはならぬ。これは、
使
つか
われるものの
心得
こころえ
おくべきことだ。」といわれたのでした。
賢
けん
一は、
老先生
ろうせんせい
のお
言葉
ことば
をありがたく
思
おも
いました。そして、この
温情深
おんじょうぶか
い
先生
せんせい
の
膝下
しっか
から、
遠
とお
く
離
はな
れるのを、
心
こころ
のうちで、どんなにさびしく
思
おも
ったかしれません。
こうして、
彼
かれ
は、ついに
東京
とうきょう
の
人
ひと
となりました。
きた
当座
とうざ
は、
自転車
じてんしゃ
に
乗
の
るけいこを
付近
ふきん
の
空
あ
き
地
ち
にいって、することにしました。また、
電話
でんわ
をかけることを
習
なら
いました。まだ
田舎
いなか
にいて、
経験
けいけん
がなかったからです。
山本薪炭商
やまもとしんたんしょう
の
主人
しゅじん
は、
先生
せんせい
からきいたごとく、さすがに
苦労
くろう
をしてきた
人
ひと
だけあって、はじめて
田舎
いなか
から
出
で
てきた
賢
けん
一のめんどうをよくみてくれました。
薪
まき
や
炭
すみ
や、
石炭
せきたん
を
生産地
せいさんち
から
直接
ちょくせつ
輸入
ゆにゅう
して、その
卸
おろし
や、
小売
こう
りをしているので、あるときは、
駅
えき
に
到着
とうちゃく
した
荷物
にもつ
の
上
あ
げ
下
お
ろしを
監督
かんとく
したり、またリヤカーに
積
つ
んで、
小売
こう
り
先
さき
へ
運
はこ
ぶこともあれば、
日
ひ
に
幾
いく
たびとなく
自転車
じてんしゃ
につけて、
得意先
とくいさき
に
届
とど
けなければならぬこともありました。
彼
かれ
は、
自転車
じてんしゃ
のけいこをしながら、いつか
空
あ
き
地
ち
に
遊
あそ
んでいる
近所
きんじょ
の
子供
こども
たちと
仲良
なかよ
しになりました。
子供
こども
を
好
す
きな
彼
かれ
は、そこに
田舎
いなか
の
子
こ
と
都会
とかい
の
子
こ
と、なんら
純情
じゅんじょう
において、
差別
さべつ
のあるのを
見
み
いださなかったのでした。
「お
兄
にい
さん、
上手
じょうず
に
乗
の
れるようになったのね。」と、
女
おんな
の
子
こ
や、
男
おとこ
の
子
こ
らは、
彼
かれ
の
周囲
しゅうい
に
集
あつ
まってきていいました。
賢
けん
一は、こうした
子供
こども
たちを
見
み
るにつけ、もはや、ときどきは、しぐれと
混
ま
じって
降
ふ
るであろう
故郷
こきょう
の
村
むら
に、
毎日
まいにち
学校
がっこう
へ
集
あつ
まってくる
親
した
しみ
深
ぶか
い
生徒
せいと
らの
姿
すがた
を
目
め
に
浮
う
かべました。「こちらは、こんなにいい
天気
てんき
だのになあ。」と、
同
おな
じ
太陽
たいよう
でありながら、その
地方
ちほう
によって、
与
あた
える
恵慈
けいじ
の
相違
そうい
を
考
かんが
えずにはいられなかったのです。
彼
かれ
は、
藤本先生
ふじもとせんせい
にも、
「こちらへきて、
幸福
こうふく
の一つは、
晴
は
れわたった
青
あお
い
空
そら
を
見
み
られることですが、それにつけ、いっそう、あのさびしい
山国
やまぐに
で、
働
はたら
く
人
ひと
たちのことを
思
おも
います。」と、
書
か
いたのでありました。
ある
日
ひ
、
彼
かれ
は、
往来
おうらい
のはげしいにぎやかな
道
みち
を
自転車
じてんしゃ
に
乗
の
って
走
はし
っていました。このとき、
横
よこ
あいから
前
まえ
に
出
で
た
老人
ろうじん
があったが、ふいのことであり、
彼
かれ
は、この
老人
ろうじん
を
傷
きず
つけまいとの一
念
ねん
から、とっさにハンドルをまわしたので、おりから
疾走
しっそう
してきた
自動車
じどうしゃ
に
触
ふ
れて、はねとばされたのでした。
彼
かれ
は、
直
ただ
ちに
病院
びょういん
へかつぎ
込
こ
まれました。
傷
きず
は
幸
さいわ
いに
脚
あし
の
挫折
ざせつ
だけであって、ほかはたいしたことがなく、もとより
生命
せいめい
に
関
かん
するほどではなかったのです。
主人
しゅじん
はそれ
以来
いらい
、
日
ひ
に
幾
いく
たびとなく、
病院
びょういん
に
彼
かれ
をみまいました。
「
今日
きょう
は、
気分
きぶん
はどんなだね。」と、たずねました。
賢
けん
一は、
痛
いた
ましくも、
頭
あたま
から
足先
あしさき
まで、
白
しろ
いほうたいをして、
横
よこ
になっていました。
「だいぶん、
痛
いた
みがとれました。」と、
彼
かれ
は、
答
こた
えた。
「まあ、たいしたけがでなくてよかった。なにしろ、
東京
とうきょう
では、
日
ひ
に
幾人
いくにん
ということなく、
自動車
じどうしゃ
や、トラックの
犠牲
ぎせい
となっているから、この
後
のち
も、よく
気
き
をつけなければならない。それに
較
くら
べると、
田舎
いなか
は、
安心
あんしん
して
道
みち
が
歩
ある
けるし、しぜん
人
ひと
の
気持
きも
ちも、のんびりとしているのだね。」と、
主人
しゅじん
は、いいました。
「そうだと
思
おも
います。しかし、
私
わたし
の
不注意
ふちゅうい
から、ご
心配
しんぱい
をかけましてすみません。」
「
君
きみ
は、おばあさんをかばおうとしたばかりに、
自分
じぶん
がけがをしたという
話
はなし
だが、
私
わたし
は、
君
きみ
の
誠実
せいじつ
に
感心
かんしん
するよ。」
「あのときは、ただ
老人
ろうじん
をひいてはたいへんだという
心
こころ
だけで、ほかのものが
目
め
に
入
はい
らなかったのです。」
こういって、
賢
けん
一は、まことに
危険
きけん
だった
当時
とうじ
を
追想
ついそう
しました。
「
君
きみ
がきてくれて、
私
わたし
は、いい
協力者
きょうりょくしゃ
ができたと
思
おも
っている。
人
ひと
は、たくさんあっても、
信用
しんよう
のおける
人
ひと
というものは、
存外
ぞんがい
少
すく
ないものだ。」と、いって、
主人
しゅじん
は
賢
けん
一をはげましてくれました。
賢
けん
一は、ただ、その
厚情
こうじょう
に
感謝
かんしゃ
しました。
彼
かれ
は
負傷
ふしょう
したことを
故郷
こきょう
の
親
おや
にも、
老先生
ろうせんせい
にも
知
し
らさなかったのです。
孝経
こうきょう
の
中
なか
に
身体髪膚受之父母
しんたいはっぷこれをふぼにうく
。
不敢毀傷孝之始也
あえてきしょうせざるはこれこうのはじめなり
。と、いってあった。
彼
かれ
は、
自分
じぶん
の
未
いま
だ
至
いた
らぬのを
心
こころ
の
中
なか
で、
悔
く
いたのでありました。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%
热门TAG:
上一篇:
僧(4)
下一篇:
谷にうたう女(2)
收藏
挑错
推荐
打印
推荐内容
热点内容
宝石商(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
僕が大きくなるまで_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
笑わない娘(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
不思議な鳥(2)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
町のお姫さま_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
蝋人形(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
老婆(2)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
笑わなかった少年(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
笑わなかった少年(2)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
森の暗き夜(3)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网
论坛新贴