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高い木と子供の話(4)

时间: 2022-11-18    进入日语论坛
核心提示:四夕日ゆうひが、黄色きいろく林はやしの間あいだを彩いろどって沈しずみかけたころから、烈はげしい風かぜとなりました。ちょう
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夕日ゆうひが、黄色きいろはやしあいだいろどってしずみかけたころから、はげしいかぜとなりました。ちょうど、このとき、地主じぬしのおじいさんは、かんかんにおこって、あちらからやってきました。
「だれだ! からすのったものは? おやがらすがきちがいになっていているので、うちにいられたものでない。」
善吉ぜんきちうちのそばで、子供こどもらは、からすのをおもちゃにしてあそんでいました。ちょうど、そこへおじいさんは、やってきたのです。近所きんじょひとたちは、何事なにごとこったのかとおもって、そとてみました。すると、ごろやかましい、がんこな、地主じぬしのおじいさんが、おこっているので、みんなちいさくなって、いきころして、ながめていました。善吉ぜんきち母親ははおやも、自分じぶん子供こどもが、いたずらをしたためしかられるのを、ひとかげになってていました。
「だれが、垣根かきねなどをやぶって、うちへはいったのだ。」と、おじいさんは、をみはりました。
「おらでない。」
ぜんちゃんだ。」
「だれが、などにのぼって、からすのったりしたのだ。」
「おらでないぞ。」
ぜんちゃん……。」
子供こどもたちは、口々くちぐちに、おれでないといいはりました。そして、善吉ぜんきちであることをぐちしたのです。善吉ぜんきちは、したいて、かおあかくしていたが、こころうちで、ともだちの卑怯ひきょうなのをにくんでいました。自分じぶんれといったのは、おまえたちではないか。そして、みんなで、あそんでいたのでないか。それを、しかられるときには、おれにだけつみをきせようとする、なんというたのみにならないやつだろう、とおもっていました。
「おまえか、からすのったのは?」
地主じぬしのおじいさんは、おそろしいかおをして、善吉ぜんきちをにらみました。
「はい。」と、善吉ぜんきちが、正直しょうじきにうなずいた。
「その子供こどもなかかえしてくるだ! あのとおり、おやがらすがいている。」と、おじいさんは、善吉ぜんきちめいじました。
はやしは、かぜのために波立なみだっていました。からすはぶように、そらくろく、きさわいでいました。そして、は、だんだんとれかかっていたのです。善吉ぜんきちは、からすのいて、地主じぬしあとについてゆきました。
ふいに、善吉ぜんきち母親ははおやが、した。
「だんなさん、からすの大事だいじか、人間にんげん大事だいじか。この大風おおかぜに、あなたはあのたかのぼらせなさるなのですか……。」
平常ふだんは、ものをいうのもはばかる地主じぬしかって、母親ははおやおおきなこえさけびました。近所きんじょ人々ひとびとはじめ、善吉ぜんきちまで、びっくりして、母親ははおやかおつめた。
のぼらせるもないものだ。おやのしつけがわるいから、こんないたずらをするのだ。」
「だんなさん、そこは、子供こどもです……。」
善吉ぜんきちは、もうだまっていられなかった。
「おっかあ、おれがわるかった。からすのにもどしてくる。なに、だいじょうぶだ。ちるもんか。」
こういうと、善吉ぜんきちは、しました。そして、するするとたかのぼって、なかへ、がらすをもとのとおりにいれてりました。
かれは、ほんとうのははであればこそ、この場合ばあい、だれでもおそろしがる、地主じぬしかって、自分じぶんのためにいいあらそってくれたのだ。それだのに、自分じぶんは、しかられるたびに、ははうたがい、またうらんだことをもったいなくおもいました。それからは、善吉ぜんきちは、学校がっこうからかえって、自分じぶんからすすんで、おとうとりし、またおや手助てだすけをしたのであります。
――一九二九・三――

石竹色せきちくいろ──石竹せきちくはないろ。うすい紅色べにいろ。ピンク。
 
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