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だまされた娘とちょうの話(1)

时间: 2022-11-19    进入日语论坛
核心提示:だまされた娘とちょうの話小川未明弟妹ていまいの多おおい、貧まずしい家いえに育そだったお竹たけは、大おおきくなると、よそに
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だまされた娘とちょうの話

小川未明


弟妹ていまいおおい、まずしいいえそだったおたけは、おおきくなると、よそにはたらかなければなりませんでした。
ごろ、したしくした、近所きんじょのおじいさんは、かのじょかって、
「おまえさんは、やさしいし、正直しょうじきであるし、それに、子供こどもきだから、どこへいってもかわいがられるだろう。うらおもてがあったり、じゃけんだったりすると、きらわれて出世しゅっせ見込みこみがないものだ。東京とうきょうへいったら、からだを大事だいじにして、よくはたらきなさい。」と、希望きぼうのある言葉ことばあたえてくれました。
方々ほうぼうさくらはなきはじめたころでした。おたけは、故郷こきょうわかれをげたのであります。
もう、こちらへきてから、だいぶ日数にっすうがたちました。かのじょは、あさはやきると、食事しょくじ仕度したくをし、それがわると、主人しゅじんのくつをみがき、また縁側えんがわをふいたりするのでした。
おくさまのへやには、おおきなかがみがおいてありました。そうじをするときには、自分じぶん姿すがたが、そのこおりのようにつめたくひかるガラスのおもてにうつるので、ついらず、あたまへやって、髪形かみかたちなおしたのです。
あちらで、それをおくさまは、おんなはだれでも、かがみがあれば、しぜんに自分じぶん姿すがたうつしてるのが、本能ほんのうということをらなそうに、
「ひまなときは、いつでもここへきてお化粧けしょうをして、いいんですよ。」と、わざとらしく、おたけに、いいました。
たけは、さもとがめられたようにかおあかくして、なんと返事へんじをしていいかわからず、ただ、したきながら仕事しごとをするばかりでした。
おくさまは、つづけて、いいました。
まえのねえやは、それは、かおもよかったし、がきいて、やくにたつでしたが、器量きりょうがご自慢じまんなので、ひまさえあれば、かがみかって、ほおべにをつけたり、おしろいはけでたたいたりするので、なにもおじょうさんじゃなし、パンパンでもあるまいから、どくだけれど、いってもらったんですよ。」と、さも、おかしいことをはなすようにおくさまは、わらったのでした。
あまり、その調子ちょうしがくだけていて、自分じぶんたいする皮肉ひにくとはとれなかったので、おたけは、まえにいた女中じょちゅうのことだけに、ついつりこまれて、
「そんなに、きれいなかたなんですか。」と、おくさまのほうて、たずねました。
しかし、おくさまのようすは、さっきのわらいとはつかず、ややかでした。
「ええ、それは、かおがきれいなばかりでなく、お料理りょうりだって、なんでもできたんです。」と、そっけなくこたえた、おくさまの言葉ことばには、おまえのような、田舎出いなかでとちがうという、さげすみの意味いみがあらわれていました。
さすがに、ひとのいうことを、まっすぐにしかかいしなかったおたけも、底意地そこいじのわるい、おくさまのいいかたがわかって、もうなにもいうことができませんでした。しかし、そこをりがけに、自分じぶんかおは、そんなにみにくいのであるかと、ついかがみほう見向みむかずにいられませんでした。
あわれなかのじょには、まだ台所だいどころでたくさん仕事しごとっていました。それをかかえると、かのじょは、そと井戸端いどばたへいきました。田舎いなかにいたときのことなどおもしながら、せわしそうに、ポンプでみずげ、たらいのなかうごかしたのです。
そこへ、となりおくさんが、バケツをげてきました。おたけは、あわてて、たらいをかたすみへしのけようとしました。
「ああ。いいんですよ、そうしておいてください。わたしは、みずを一ぱいいただけば、いいんですから。あなたは、よくごせいがでますわ。」と、そのおくさまは、じょさいがなかったのでした。
自分じぶんこころに、まじりけがなかったから、こうやさしくいわれると、おたけは、このおくさんのほうが、うちのおくさまより、よっぽど、いいひとのようにおもいました。そして、すぐ、ちとけるになったのです。
まえのお女中じょちゅうさんは、たいへんきれいなかただって、そうですか。」と、かのじょは、みみまであかくしながら、ぶしつけにきました。おくさんは、びっくりしたふうもせず、
「ふつうではありませんか。あのかたは、ここはお給金きゅうきんやすいから、といっていましたが。」と、こたえました。
その、まもなく、おたけが、口入くちい世話せわで、ある私立病院しりつびょういん病室びょうしつにいた、子供こどもいとなったのも、どうせつとめるなら、すこしでもくにおくるのにおかねおおいほうがいいとおもったからでした。
そとからると、宏壮こうそう洋館造ようかんづくりの病院びょういんでしたけれど、ひとたび病棟びょうとうはいったら、どのへやにも、青白あおじろかおをして、んだ病人びょうにんが、とこうえ仰臥ぎょうがするもの、すわってうめくもの、わらごえひとつしなければ、なが廊下ろうかある足音あしおとぐらいのものでした。あのいきいきとしたにぎやかなまちからきたものには、まったくべつ世界せかいであるとしかかんじられなかったのです。いわば、ここは、病人びょうにんだけがいるところであり、健康けんこうなもののじっとして、いられるところではありませんでした。
「ああ、いくらおかねになっても、わたしのくるところでなかった。これにくらべれば、たとえくちやかましいおくさまのいえでも、がまんできたのに。」と、おたけは、ぼんやりとして後悔こうかいにくれたのです。
「ねえ、おねえちゃん、なにをかんがえているの。なにかおもしろいおはなしかしてくれない。」と、そばにねている少年しょうねん弱々よわよわしいこえで、ひとなつこくいいました。
もう、なが入院にゅういんしているので、少年しょうねんはやせて、としよりもおさなえるので、かのじょには、いじらしかったのでした。
ぼっちゃん、さびしいの。」と、おたけかおせるようにして、きました。
「もう、おねえちゃんがいるから、ぼく、さびしくないよ。」と、少年しょうねんは、さもはずかしそうにしてこたえたのです。
わたしは、ぼっちゃんが、よくおなおりなさるまで、どこへもいきませんよ。」
こういうと、少年しょうねんは、脊椎せきついカリエスで、とうていたすかる見込みこみがないと、回診かいしん医者いしゃはいっていました。
おな場所ばしょで、おとなにもどく患者かんじゃがいました。べついがいないので、不自由ふじゆうするのをると、おたけは、そんなひとには、できるだけのしんせつをしたのでした。便所べんじょへつれていったり、また夜中よなかにまくらのこおりをとりかえてやったりしました。なかには、
「じょうぶなときとちがい、こんなからだになって、ひとさまから、やさしくしてもらいますと、ありがたくて、ほんとうにおんにきますよ。」と、わさんばかりにするものもありました。こういわれると、ごろ気立きだてのやさしいおたけは、自分じぶんのできることは、どんなことでも、してやらなければならぬという気持きもちになるのでした。
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