単純な詩形を思う
小川未明
極めて単調子な、意味のシンプルな青い海のような空に、月が出て、
私は、このような子守唄を、幾年の後、しかも
そして、この子守唄は、たとえ都の
かくまで、この子守唄が、
これらは、単に詩形に於いて、既に原始的であるばかりでなく、その声調に於いても、長い間の歴史を持っている。
しかしこれらは、その始め森の中に産まれた唄である。野や、谷に産まれた歌であることを忘れてはならない。私は、こう思うて来ると、都会に産まれた子守唄や俗謡がなくてはならないと考える。私は、これを
何となれば、あまりにこれらは
私は、天才の歌うた詩には、よくこの単純な、また、単調な、リズムを捕らえ得る技を認める。そして、これらの子守唄や俗謡の生命が長い如く、彼等の芸術はまた生命が長いのである。天才は、一言すれば、よく無智に帰って、自然を見ることを知っているからである。そして、人間の原始的の感情に触れる
たとえ単純な感情であっても、それにシンセリティが伴ったならば吾人は、その芸術の前に立って笑うことが出来ない、こういう芸術に対しては、知識は何の批評の権威も有せない場合が多い。今の詩壇には、あまりに、知識の勝った人が多いようだ。そして、それらの詩人は子供らしい感じということを理解もせなければ、また、感じもしないように思われる。誰しも都会が、都会詩人を産むことを否むものはない。また、不思議に感ずるものもなかろう。けれど、詩歌は、都会的であると、田園的であるとを問わず
この意味に於いて、詩人は、また、いかなる時代に於いても物質文明に対し、唯物主義に対して反抗の声を