抜髪
小川未明
ブリキ屋根の上に、
私は、この若い女を見たことがない。
「女は、どうしているだろう。」と思った。女は、琴を弾かない。また歌わない。いつもあの黒い家には音がなかった。私は、どうかして、井戸に水を汲みに出る姿でも見たいと思ったが、ついその女の姿を見たことがない。
私は心で、いろいろその女を想像して見た。或時は、痩せた青い顔の女だと思った。或時は、もう寡婦で
やはり雨が降っている。こう幾日もつづいて降ったら皆な物が腐れてしまうだろう。
「そうだ。皆な物が腐れてしまったら……。」と思った。
黒い夜だ。腐れて毒と
私は、窓を閉めた。急に
或晩ふと眼を
私は暫らく、窓に
「若い女! まだ見ぬ若い女!」ああ、その若い女が恋しい。私はなぜ今迄その女を見なかっただろう。私は余り考え過ぎた。考え過ぎているうちに春も過ぎてしまった。この青い月の光り! もう春でない。淡い夏が来たのでないか。夏? そうだ夏だ。病的な、暗愁の多い春は
醒めよ。春は
幾日か降った雨、それは恋しい、懐しい、春の行くのを泣いた泣いた女の涙であっただろう……私は、その夜後悔と
白い雲が、日の光りに輝く青葉の上を飛んでいる。緑葉は一夜のうちに黒ずんだ。青桐の葉は大きく延びた。その蔭が地の上に落ち、はっきりと
若い女は、もはやこの家に住んでいなかった。