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僕のかきの木_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:僕のかきの木小川未明もう、五、六年前ねんまえのことであります。ある日ひ、賢吉けんきちは、友ともだちが、前畑まえばたけの中
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僕はこれからだ

小川未明


むらからすこしはなれた、やまのふもとに達吉たつきちいえはありました。かれ学校がっこうかえりに、さびしいみちをひとりで、ひらひらしろいこちょうをいかけたり、また、のあぜでくかえるに小石こいしげつけたりして、道草みちくさをとっていたこともあります。そして、うら松林まつばやしにせみのいている、ちかづくときゅうになつかしくなって、したものでした。
父親ちちおやというのは、からだつきのがっちりした、無口むくちはたらものでした。今日きょうじゅうに、これだけたがやしてしまおうとこころめると、たとえれかかっても、やすまずに仕事しごとせいれるという性質せいしつでしたから、むらひとたちからも信用しんようされていました。ところが事変じへんなみは、こうしたしずかな田舎いなかへもせてきました。かれには召集令しょうしゅうれいくだったのであります。カーキいろふく戦闘帽せんとうぼうかぶって、あかいたすきをかけた父親ちちおや肩幅かたはばひろ姿勢しせい毅然きぜんとして、まるはたったみんなからおくられて、平常へいぜいは、あまりひととおらないさびしいみちを、まちほうへといったのでありました。それは、ついこのあいだのこととおもったのが、はや二ねんばかりになりました。そして、その父親ちちおやが、中支ちゅうし戦線せんせんで、激戦げきせんさい戦死せんしげたというらせがとどいたので、さすがに、いえのものはじめ、むら人々ひとびとは、まったくゆめのようながしたのであります。あの健康けんこうな、意志いしつよおとこが、もうけっして、もどることがないとおもったからでした。
達吉たつきち母親ははおやは、やせがたな、おんならしい、やさしい性質せいしつひとでした。父親ちちおやが、いなくなってから、達吉たつきち学校がっこう退けて、途中とちゅうからともだちとわかれて一人ひとりぼっちでかえると、こんど父親ちちおやわって母親ははおやが、ぬぐいをかぶってうつむきながら、たんぼで野菜やさいなかもれてせっせとはたらいているのをました。
しかるに、この母親ははおやともわかれた。達吉たつきちは、いつになっても、そののことをかんがえるとたまらなくなるのでした。それは、父親ちちおや戦死せんしいたときよりも、もっとかなしさがふかむねせまってくるのでした。
母親ははおやは、まくらもとへ達吉たつきちびました。
「もし、わたし病気びょうきんだら、おまえは、東京とうきょう伯父おじさんのところへいくのだよ。伯父おじさんも、いいひとだから、よくいうことをきくのだよ。」
そのとき、母親ははおやから、なみだちて、黄色きいろなほおをつたって、まくらをぬらしたのです。
「おかあさん、んじゃいやだよ。」と、達吉たつきちは、きゅうおおきなこえしました。すると、てつだいにきていた、むらおんなひとが、あわててへやへはいってきて、
「なんで、おかあさんが、ぼうだけのこしてになさるものか。じきによくなって、きなさるから、さあ、すこしあっちへいってあそんできなさいね。」と、そとくようにして、つれていったのでした。
そのよるであった。すさまじい北風きたかぜつのった。あきふかくなったというらせのように、かぜはヒュウヒュウとさけんで、野原のはらをかすめ、はやしあたまをかすめて、や、えだについているをことごとくもぎとっていったばかりでなく、いっしょに達吉たつきち母親ははおやいのちもさらっていったのです。
翌朝よくあさ東京とうきょうからきた、伯父おじさんがきました。そして、数日すうじつのちには、達吉たつきちは、その伯父おじさんにつれられて、おもおおい、自分じぶんまれたこのむらかららなければならなかったのでした。
伯父おじさんのんでいるまちは、都会とかい片端かたはしであって、たてこんでいるちいさな家々いえいえうえに、くものないそらからりつけていました。みせにブリキいたがすこしばかりいてあるだけのまずしいらしであったが、子供こどもがないところから、伯父おじさんも、伯母おばさんも達吉たつきちをかわいがってくれました。
「なに、工場こうじょうなどへいかなくたって、いえにいて、おれ手助てだすけをすればいい。」と、伯父おじさんは、やっと高等小学校こうとうしょうがっこうたばかりの達吉たつきち少年工しょうねんこうとして、たとえこのごろは景気けいきがよくても、工場こうじょうへやるのにしのびませんでした。
「ああ、それがいいよ。」と、伯母おばさんも、いっていました。
隣家りんかは、薪炭商しんたんしょうであって、そこには、達吉たつきちより二つ三つ年上としうえ勇蔵ゆうぞうという少年しょうねんがありました。
「おい、たっちゃん、リヤカーにせてやろうか。これから、このすみをとどけにいくのだから。」と、みちうえ茫然ぼうぜんとしてっている達吉たつきちつけて、こえをかけました。
「そして、かえりに、うめをもいでこようよ。」と、勇蔵ゆうぞう元気げんきにいいました。
達吉たつきちは、リヤカーにせてもらって、くるまうえから、はじめてまち景色けしき物珍ものめずらしそうにながめていました。勇蔵ゆうぞうは、品物しなもの配達はいたつわると、かるくなったリヤカーをさらにいきおいよくはしらせて、まちり、はらっぱへとました。広々ひろびろとしたはらっぱには、一かく屋敷跡やしきあとのようなところがあって、青々あおあおとした梅林ばいりんには、がたくさんっていました。
「あれごらんよ、すっかり種子たねかたまっているのだぜ。」と、勇蔵ゆうぞうが、っぱそうなくちつきをして、いいました。
達吉たつきちなかに、このとき、北方ほっぽう憂鬱ゆううつくろもり景色けしきがよみがえったのだ。そこは、自分じぶんまれたむらである。いまも、陣々じんじんとして、あたまうえかぜなかに、たんぼの野菜やさいしろうらかえすのである、そして、やつれたははなみだぐんだかおかぶのでありました。
「なにをぼんやりしているんだい。たっちゃんは、ひろわないの。」と、勇蔵ゆうぞうは、ぼうきれをえだかってげつけると、あめのように、しろいうぶのあるまるが、ころころとあしもとにころげてちました。
すみも、煉炭れんたんも、じき、切符制度きっぷせいどとなって、ぼく仕事しごとがなくなるから、工場こうじょうか、会社かいしゃつとめようとおもっているのさ。」と、かえりに勇蔵ゆうぞうが、達吉たつきちはなしました。
自分じぶんは、田舎いなかにいれば、いまごろ、くわをって百しょうをしているんだが。」と、達吉たつきちかんがえました。
ある伯父おじさんは、外出がいしゅつ支度したくをしながら、
懇意こんい准尉じゅんいさんで、陸軍病院りくぐんびょういんはいっていなさるのを、これからみまいにいくのだ。達吉たつきちも、いっしょにこないか。」と、いいました。
達吉たつきちは、父親ちちおや戦死せんししてから、戦争せんそうにいった兵隊へいたいさんにたいして、なんとなくいいしれぬしたしみをもつようになったのでした。
「ひょっとしたら、おとうさんのことがかれるかもしれない。」と、おもったので、つようによろこびました。
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