舞子より須磨へ
小川未明
舞子の停車場に下りた時は夕暮方で、松の木に薄寒い風があった。誰も、下りたものがなかった。松の木の下を通って、右を見ても、左も見ても、賑かな通りもなければ、人の群っているのも目に入らない。海は程近くあるということだけが、空の色、松風の音で分るが、まだ海の姿は見えなかった。私は、松並木のある、長い通りを往ったり、来たりして、何の宿屋に泊ろうかと思った。ちょうど、一軒の一品料理店の前に、赤い旗が下っていた。其の店頭に立っていた女に、
『舞子の町は、何の辺ですか』と聞いた。女は淋しそうな顔をしていた。
『町って、別にありません』
これが、舞子か……と私は、思っていたより淋しい処であり、
亀屋という宿屋の、海の見える二階で、
夕飯の時、女は海の方を見て『今日は、波が高い』といったが、日本海の波をみている私には、この高いという波が、あまり静かなのに驚かされていた位であるから、
隣の室には、髭の生えた男がいる。其の次の間にも、二三人いたようだ。大きな宿屋は、至って静かだ。たゞ、海から吹いて来る風が開け放たれた室に入った。海は、さながら、鏡の
酒を飲み尽さないうちに、海は、暮れてしまった。波は益々高くなったようであったけれど、出ている船の数は多かった。全く、其等の船の影が闇の中に隠れた。電燈は、膳の上の、
淡路島の一角に建てられた燈台の白い光りが、長く波の上に映っている。船の通るたびに、其の白い光りは見えなくなる。
『あれ、また船が通ります』と、女は、やはり海の方を見ていて言った。
歩いて須磨へ行く途中、男がざるに
私の
遙かに、紀伊の山々が望まれた。海の上を行って、五十里はあれど百里はあるまいと思うと、学校時代に最も親しかった、たゞ一人の友のいる国の山が見えるのに、此処まで来て其の友に遇わずに帰るのが悲しくて、また、何時か来られるか分らないのにと思うと、低徊して去るに忍びなかった。
『
私が、この小舎を出る時、二人旅人が入って来た。