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窓の下を通った男(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:窓の下を通った男小川未明一毎日まいにちのように、村むらの方ほうから、町まちへ出でていく乞食こじきがありました。女房にょう
(单词翻译:双击或拖选)
 

こうして、なが月日つきひぎました。あるおとこはいつものようにむらから、みちあるいてきますと、いつになく、そのいえまど雨戸あまどかたくしまっていました。どうしたことだろうとおもいました。それから、子細しさい周囲しゅういをしらべてみますと、そのいえは、になっていました。
あのやさしい、しんせつな、おんないえひとたちは、どこへかしていったとおもわれました。
「どこへおしになったのだろう……。」と、おとこおもった。
それから、近所きんじょ人々ひとびとに、それとなしにいてみると、なんでも遠方えんぽうしていかれたようです。相手あいてが、きたならしい乞食こじきであるので、だれもくわしく、しんせつにものをいっておしえてくれるものがなかったのです。おとこは、ついにることができませんでした。
あわれなおとこは、またまったくなかから、見捨みすてられた、さびしい人間にんげんとなってしまいました。いつまで、おなじところに、さまよっていてもしかたがなかったから、むらからむらへ、まちからまちへあてもなく、さすらいのたびをすることとなりました。そのあいだに、また、なが月日つきひは、しぜんにたっていきました。いろいろの土地とちあるきましたが、乞食こじきおとこは、ふたたび、あのしんせつなおんなひとにめぐりあうことはなかったのです。
おとこは、どうかして、もう一めぐりあいたいものだとおもいました。しんせつにしてもらったおんわすれなかったのであります。
あるとしのこと、おとこは、街道かいどうあるいていました。きたほうくにであって、なつのはじめというのに、国境くにざかい山々やまやまには、まだ、ところどころ、しろゆきえずにのこっていたのでした。けれど、野原のはらにはいろいろのはないて、んだそらしたで、ひかりにかがやき、また、どこともなくかぜに、さびしそうにらいでいました。
おとこは、そんな景色けしきながらあるいているうちに、んだ女房にょうぼうのことや、子供こどものことなどをおもったのでした。また、自分じぶん子供こども時分じぶんともだちと竹馬たけうまって、けっこをしたり、往来おうらいうえをまわして、あそんだことなどを記憶きおくからこしたのであります。しかし、それは、とおむかしのことであり、また、自分じぶんのうまれたくには、たいへんにここからははなれていたのでありました。
ちょうど、このとき、あちらのほう汽車きしゃふえおとがしたのでした。やがて平原へいげんを、こちらにかってはしってくる汽車きしゃちいさなかげみとめたのでした。おとこは、しばらくなにもかもわすれて、子供こどものようになって、その汽車きしゃまもっていました。
しずかな、うららかな天気てんきであったのです。よく子供こども時分じぶんに、迷信めいしんともつかず、ただ、魔法まほう使つかうのだといって、くちのうちで、おなじことを三べんくりかえしていうと、きっとおもったとおりになるとしんじたことがありましたが、おとこは、ふと子供こども時分じぶんに、やったことをおもして、
「とまれ、とまれ、とまれ!」と、汽車きしゃはしってくるのをながめながら、ぜんぜん子供こども気持きもちになって、汽車きしゃかっていったのでした。
普通ふつうかんがえてみても、そんなことをいったとて、汽車きしゃがとまる道理どうりがありません。けれどこのとしとったおとこは、いまにもとまりはしないかと空想くうそうえがきながら、汽車きしゃつめていました。
汽車きしゃは、だんだんちかづいてきました。そして、ていると、その速力そくりょくがしだいにゆるくなってきて、かれが、あまりのふしぎに、むねをとどろかしながらていると、すぐまえにきたときに、まったく汽車きしゃはとまってしまったのでした。
おとこは、どうしたらいいだろうかとあわてて、すぐにもそうかとしました。汽車きしゃっている人々ひとびとは、みんなまどからかおして、何事なにごとこったのだろうかと線路せんろうえをながめていました。
運転手うんてんしゅや、車掌しゃしょうや、汽車きしゃっているかかり人々ひとびとは、汽車きしゃからりて、機関車きかんしゃしたあたりをのぞいていました。
機械きかいちからうごいている汽車きしゃが、機械きかい故障こしょうしょうじた時分じぶんまるのは、なんのふしぎもないことでした。ただ、おとこが、そんなことをくちなかでいったときに、偶然ぐうぜん機械きかい故障こしょうしょうじたのがふしぎだったのであります。
おとこは、あたまげて、汽車きしゃまどからのぞいている人々ひとびとかおをながめていました。
「このひとたちは、どこまでいくのだろう……。」と、そんなことをおもったのでした。
そのうちに、おとこは、はっとして、びっくりしました。金縁きんぶち眼鏡めがねをかけて、いろしろい、かみのちぢれたおんなひとが、やはり、汽車きしゃまどからかおして、のぞいていたからです。そのひとは、数年前すうねんぜんに、あのいえまどしたとおった時分じぶんに、しんせつにめぐんでくれたそのひとそっくりでありました。
けれど、ただちがっていることは、いま、まえひとわかく、あのときのひとは、もっととしをとっていたことです。
「あのおんなひと子供こどもさんにしては、おおきいし、このひとは、あのひといもうとさんであろう……。」と、おとこおもいました。
いつか、そのおんなひとは、自分じぶんて、とおくはなれている父親ちちおやのことをおもうといったが、これは、またなんという奇妙きみょうなことであろうと、おとこかんがえたのでした。そして、まえ汽車きしゃまどから、かおしているわかおんなひとを、あのおんなひといもうとさんであるとこころめてしまいました。
わかおんなひとは、わかいりっぱな服装ふくそうをした紳士しんしといっしょにっていたのでした。
おとこは、こころから、そのひとたちの未来みらい幸福こうふくいのったのであります。
このとき、汽車きしゃ故障こしょうなおって、汽笛きてきらすと、ふたたびうごきしました。
おとこは、その汽車きしゃのゆくえをさびしそうに見送みおくっていましたが、やがてとぼとぼと平野へいや一人ひとりであてなくあるいていったのであります。
――一九二六・五――
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