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港に着いた黒んぼ(1)

时间: 2022-12-25    进入日语论坛
核心提示:港に着いた黒んぼ小川未明やっと、十とおばかりになったかと思おもわれるほどの、男おとこの子こが笛ふえを吹ふいています。その
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港に着いた黒んぼ

小川未明


やっと、とおばかりになったかとおもわれるほどの、おとこふえいています。そのふえは、ちょうど秋風あきかぜが、れたらすように、あわれなおとをたてるかとおもうと、はるのうららかなに、みどりいろうつくしい、もりなかでなく小鳥ことりこえのように、かわいらしいおとをたてていました。
そのふえいた人々ひとびとは、だれがこんなに上手じょうずに、またあわれにふえいているのかとおもって、そのまわりにってきました。するとそれは、とおばかりのおとこで、しかもその子供こどもは、弱々よわよわしくえたうえに、盲目めくらであったのであります。
人々ひとびとは、これをて、ふたたびあっけにとられていました。
「なんという、不憫ふびん子供こどもだろう?」と、こころおもわぬものはなかった。
しかし、そこには、ただその子供こどもが、一人ひとりいたのではありません。その子供こどもねえさんともえる十六、七のうつくしいむすめが、子供こどもふえにつれて、うたをうたって、おどっていたのでありました。
むすめは、水色みずいろ着物きものをきていました。かみは、ながく、ほしのようにかがやいてんでいました。そして、はだしですなうえに、かるやかにおどっている姿すがたは、ちょうど、花弁はなびらかぜうようであり、また、こちょうのんでいる姿すがたのようでありました。むすめは、人恥ひとはずかしそうにひくこえでうたっていました。そのうたは、なんといううたであるか、あまりこえひくいのできとることは、みんなにできなかったけれど、ただ、そのうたをきいていると、こころとおい、かなたのそらせ、また、さびしいかぜく、ふか森林しんりん彷徨さまよっているようにたよりなさと、かなしさをかんじたのであります。
人々ひとびとは、このあねおとうとが、毎日まいにちどこから、ここにやってきて、こうしてうたをうたい、ふえいておかねをもらっているのかりませんでした。それは、どこにもこんなあわれな、うつくしい、またやさしい、乞食こじきたことがなかったからであります。
この二人ふたりは、まったくおやもなければ、たよるものもなかった。このひろ世界せかいに、二人ふたり両親りょうしんのこされて、こうしていろいろとつらいめをみなければならなかったが、なかにも弱々よわよわしい、盲目めくらおとうとは、ただあねいのちとも、つなとも、たよらなければならなかったのです。やさしいあねは、不幸ふこうおとうとこころからあわれみました。自分じぶんいのちえても、おとうとのためにくそうとおもいました。この二人ふたりは、このにもめずらしいなかのよい姉弟きょうだいでありました。
おとうとは、まれつきふえ上手じょうずで、あねは、まれつきこえのいいところから、二人ふたりは、ついにこのみなとちかい、広場ひろばにきて、いつごろからともなくふえき、うたをうたって、そこにあつまる人々ひとびとにこれをかせることになったのです。
朝日あさひのぼると二人ふたりは、天気てんきには、かさずに、ここへやってきました。あねは、盲目めくらおとうといてきました。そして、終日しゅうじつ、そこでふえき、うたをうたって、れるころになると、どこへか、二人ふたりかえってゆきました。
かがやいて、あたたかなかぜが、やわらかなくさうえわたるときは、ふえうたこえは、もつれあって、あかるいみなみうみほうながれてゆきました。
あねは、毎日まいにちのように、こうしておどったり、うたをうたったりしましたけれど、おとうとふえくと、いつも、つかれるということをすこしもおぼえませんでした。
元来がんらい内気うちきなこのむすめは、人々ひとびとがまわりにたくさんあつまって、みんなが自分じぶんうえけているとおもうとずかしくて、しぜんうたこえ滅入めいるようにひくくはなりましたけれど、そのとき、おとうとふえみみかたむけると、もう、自分じぶんは、ひろい、ひろい、はなみだれた野原のはらなかで、ひと自由じゆうけているような心地ここちがして、大胆だいたんに、をこちょうのようにかるげて、おもしろくおどっているのでした。
あるなつのことでありました。その太陽たいようは、はやくからがって、みつばちははなたずねてあるき、広場ひろばのかなたにそびえる木立こだちは、しょんぼりとしずかに、ちょうどたかひとっているように、うるんだそらしたがってえました。
みなとほうでは、出入でいりするふねふえおとが、にぶこえていました。あかるい、あめいろそらに、くろけむりあとがわずかにただよっている。それは、これから、あおい、あおなみけて、とおてゆくふねがあるのでありました。
そのも、二人ふたりのまわりには、いつものごとく、ひと黒山くろやまのようにあつまっていました。
「こんないい、ふえいたことがない。」と、一人ひとりおとこがいいました。
わたしは、ほうぼうあるいたものだが、こんないいふえいたことがなかった。なんだか、このふえいていると、わすれてしまった過去かこのことが、一つ、一つこころそこかびがってえるようながする。」と、一人ひとりおとこがいいました。
「あれでがあいていたら、どんなかわいいおとこでしょう。」と、ある一人ひとりおんながいいました。
わたしは、あんな器量きりょうよしのむすめたことがない。」と、としをとった、荷物にもつをかついだたびおんならしいひとがいいました。
「あれほどの器量きりょうなら、こんなことをしていなくてもよさそうなものだ。あんなうつくしいむすめなら、だれでももらいがあるのに。」と、ひくおとこがのびあがって、あちらをながら、いっていました。
「きっと、あれには、だれかついているものがあるでしょう。そして、かねもうけをしようというのでしょう。」
「いいえ、あのむすめは、そんな下卑げび子供こどもではありません。きっと、あのおとうとのために、こうして苦労くろうをしているのです。」と、さっきからだまって、じっとむすめおどるのをていたおんなひとがいいました。
人々ひとびとは、おもおもいのことをいいました。なかには、かねあしもとへげてやったものもありました。なかには、いろいろのことをしゃべりながら、いつかえるように、ぜにもやらずにってしまったものもありました。
つつがなく、やがて、そのれようとしていました。うみうえそらを、いぶしぎんのようにいろどって、西にしかたむいた夕日ゆうひあかえていました。人々ひとびとは、おいおいにその広場ひろばからりました。うすあお着物きものをきたあねは、おとうとをいたわって、自分じぶんたちもそこをろうとしたときであります。
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