返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 小川未明童話集 » 正文

世の中のために_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:毎日まいにち雨あめが降ふりつづくと、いつになったら、晴はれるだろうと、もどかしく思おもうことがあります。そして、もうけっ
(单词翻译:双击或拖选)

 


毎日まいにち雨あめが降ふりつづくと、いつになったら、晴はれるだろうと、もどかしく思おもうことがあります。そして、もうけっして、この雨あめはやまずに、いつまでもいつまでも降ふるにちがいないと、一人ひとりできめて、曇くもった空そらを見みながら、腹立はらだたしく感かんじ、あの空そらへ向むかって、大砲たいほうでも打うってみたらと空想くうそうすることがあります。
「どうした天気てんきだろうな。」と、人ひとの顔かおを見みさえすればうったえるのでした。
ところが、とつぜん、雲くもが切きれて、青あおい空そらがのぞき、黄金色おうごんいろの矢やのような、日ひの光ひかりがさすと、さっきまでのゆううつが、どこかあとかたもなく消きえてしまって、心こころまでが別人べつじんのごとく変かわるのでした。
きれいにすみわたった空そらの下したでは、あの曇くもった日ひにいだいた、ゆううつな思おもいを、二度ど味あじわってみたいと思おもっても、どうなるものでもありません。しかし、こんなことは、どうだっていいのです。ところが、僕ぼくは、ふと空想くうそうに浮うかんだ、ある重大じゅうだいな問題もんだいをどうかしたはずみに忘わすれてしまったのです。それは忘わすれたですまされない、自分じぶんの一生しょうを左右さゆうするとまで考かんがえたものだけに、どうしても、もう一度どそれを思おもい出ださなくてはならなかったのでした。そして、思おもい出だすまで、僕ぼくは、毎日まいにちゆううつな日ひを送おくりました。
あるときは、机つくえの前まえに立たったり、すわったりしました。家いえの内うちを歩あるいてみました。どうかして、それを思おもい出だそうとこころみました。しかし、雲くもをつかむようで、考かんがえたことが、なんであったか、まったく見当けんとうがつきません。だが、最初さいしょそれを考かんがえた糸口いとぐちとなったものが、あったにちがいない。それは、なんであったか、僕ぼくは昨日きのうから、今日きょうへかけて、散歩さんぽした場所ばしょを目めに浮うかべたり、読よんだ書物しょもつについて、吟味ぎんみしたりしたのでした。けれど、やっぱり雲くもをつかむようだったのです。
あるとき、友ともだちが、僕ぼくと話はなしたときに、いつもノートを持もつ必要ひつようがあるといいました。それは、歩あるいているときでも、また床とこの中なかにあるときでも、いい考かんがえが浮うかんだり、なにか気きづいたことがあるときは、それを書かきとめておかぬと忘わすれるというのです。だが、僕ぼくは友ともだちに向むかって、そんなに、じき忘わすれてしまうような考かんがえなら、けっきょくたいしたものでないだろう。ほんとに大切たいせつな思おもいつきなら、けっして、忘わすれることはないはずだといったのでした。
ところが、こんど、はじめて、かげのごとく、心こころの上うえをかすめて通とおる真理しんりがあり、たくみにそれをとらえれば、その真理しんりこそ、人生じんせいにとって重大じゅうだいなねうちのあるものであるが、そのまま忘わすれてしまえば、永久えいきゅうに去さってしまうものなのを知しりました。
それを僕ぼくが、ふたたび思おもい出だしたのも、また偶然ぐうぜんだったのです。
ある日ひの晩方ばんがた、友ともだちが、遊あそびにきて、
「君きみは、チフスの予防注射よぼうちゅうしゃをしたかい。」と、聞ききました。ちょうど、そのころチフスが発生はっせいしたと新聞しんぶんに書かいてありました。
「去年きょねん、チフスと天然痘てんねんとうの予防注射よぼうちゅうしゃをしたよ。」と、僕ぼくは、答こたえたのです。すると、友ともだちは、
「人間にんげんのからだへ、いろいろ病気びょうきの予防注射よぼうちゅうしゃを打うつが、それまでに、牛うしや、モルモットなどへ、幾いくたびも試験しけんするんだってね。そんな試験台しけんだいにされた、モルモットや、牛うしのことを考かんがえると、かわいそうになるのだよ。」といって、真剣しんけんに考かんがえていました。
「しかし、とうとい犠牲ぎせいじゃないか。」と、僕ぼくは、かんたんに答こたえたものの、なにも知しらない、おとなしい動物どうぶつが、高度こうどの発熱はつねつをしたり、からだの自由じゆうを失うしなって、苦くるしんだりするのかと思おもうと、たとえ真理しんりを発見はっけんするためとはいいながら、ほかには、健康けんこうで、自由じゆうに、生活せいかつする同類どうるいがあるのを、僕ぼくも、やはりかわいそうに思おもったのでした。
「それは、しかたのないことかもしれないが、人間にんげんはそれらの犠牲ぎせいとなったものにたいして、感謝かんしゃしているだろうか。」と、友ともだちは、さながらいきどおるごとくいいました。
こう、友ともだちがいうのを聞きいたとき、僕ぼくは、おぼえず、
「あっ、思おもい出だした!」と、心こころで叫さけんだのです。
いつの晩ばんだったか、床とこの中なかで考かんがえながら、重大じゅうだいなことに思おもって、目めをさまして起おきたときは、なんであったか忘わすれてしまって、それから、なんとなく、大おおきな落おとし物ものをしたように、ゆううつだったのが、友ともだちの話はなしから、思おもい出だしたのでした。
「もし自分じぶんが、あの佐倉宗吾さくらそうごだったら。」と、空想くうそうしたことでした。あの悲惨ひさんきわまる運命うんめいにあわなければならぬと想像そうぞうしたのです。
いつの世よにも、正ただしく生いきようとすれば、ひとり佐倉宗吾さくらそうごとかぎらないから。
やがて、友ともだちは帰かえりました。
僕ぼくは、祖父そふが、ひとりへやの内うちで、たいくつそうにしていられるので、そばへいって、
「おじいさん、どうして、世よの中なかには、まちがったことが多おおいでしょうね。」と、たずねました。
おじいさんは、いつものごとくゆったりとした調子ちょうしで、
「まちがっているって、どんなことかな。」と、おっしゃいました。
「そうでしょう。正ただしいことをしながら苦くるしめられ、悪わるいことをしても、楽らくな暮くらしをしている人ひとがあるのは、どうしたわけですか。」
「なに、正ただしいものは、いつかみとめられるし、正ただしくないものは、しまいに罰ばっせられるのじゃ。」と、おじいさんは、いわれました。
「おじいさん、そんなら、運命うんめいというものは、どんなものですか。」と、僕ぼくが聞ききました。
「そう、運命うんめいとは、人間にんげんの力ちから以上いじょうのものとでもいうのかな。」
「あまり、この世よの中なかには、運命うんめいということが、多おおすぎますね。」
「考かんがえれば、そうもいえるのう。」
おじいさんは、机つくえの上うえのすずりを手てにとってながめていられました。
「運命うんめいなら、何事なにごともあきらめるよりしかたがないのですか。」と、僕ぼくが、聞きいた。
「まあ、あきらめるよりしかたはあるまい。だがお坊ぼうさんでもないかぎり、なかなかそうさとれぬものじゃ。だから、その悲かなしみを忘わすれるため、趣味しゅみに遊あそぶということがある。歌うたを作つくるとか、絵えをかくとか、字じを習ならうとか、また碁ごや、将棋しょうぎをするとか。わしなどは、一ぱいやり、畑はたけへ出でて、花造はなづくりをするのも、じつは、そのためなのじゃ。」と、おじいさんは、おっしゃいました。
けれど、僕ぼくには、そのお話はなしが、なんだかなまぬるいような気きがして、ぴんと頭あたまへこなかったのでした。
おじいさんも、僕ぼくのようすで、そうさとられたとみえて、
「若わかいものには、わしの話はなしはよくわかるまい。もう、おまえは、これから、叔父おじさんに、なんでもわからないことを、聞きくがいいぞ。わしは、昔むかしもので、いつでも、できるのは将棋しょうぎ相手あいてぐらいのものじゃ。」といって、おじいさんは、やさしい目めで、僕ぼくを見みながら、おいいになりました。
眼鏡めがねをかけて、いつも気きむずかしい顔かおつきをしている叔父おじさんは、これまで、僕ぼくにたいして、何事なにごとにも、あまり注意ちゅういをしてくれなかったものです。よくその意味いみはわからぬが、僕ぼくの存在そんざいを無視むしするということでないだろうか。ところが、僕ぼくがたずねていって、伝記でんきで知しった佐倉宗吾さくらそうごの歩あるいた道みちを、もし自分じぶんが同おなじ境遇きょうぐうに置おかれたら、やはりその道みちを歩あるいたかもしれぬ。そうすれば、同おなじような悲惨ひさんなめにあったであろう。正ただしく生いきることは、どうして、このように不安ふあんなのであろうかと、正直しょうじきにいうと、はじめて、叔父おじさんは、正面しょうめんから、じっと僕ぼくの顔かおを見みて、真剣しんけんな態度たいどを示しめしたのでした。
「君きみのいうことは、よくわかるよ。しかし、君きみばかりでない。だれだって、それを考かんがえると、不安ふあんになるのがほんとうだろう。」と、叔父おじさんは、いわれました。
「どうしてですか。正ただしいことを主張しゅちょうして、それがいけないのは。」
「正ただしいことも、正ただしくないと、いいはる人ひとたちがあり、そういうもののほうが、いつの世よの中なかでも勢力せいりょくを持もつからだ。」
「ふしぎだなあ。」と、僕ぼくが、いいました。
「ふしぎはないさ。正直しょうじきな人ひとなら、なにが正ただしいか、正ただしくないかがわかる。たとえわかっても、世よの中なかのため、あくまでいいはる、勇気ゆうきのある人ひとが少すくないのだ。昔むかしから、正義せいぎのために戦たたかった人々ひとびとは、その少すくない中なかの人ひとであって、多おおくの人ひとたちから、迫害はくがいされたのだ。君きみが空想くうそうをして、不安ふあんになるのも無理むりはない。」といって、叔父おじさんの顔かおは、いつもの気きむずかしい顔かおとなりました。
「そうすると、悪わるい人ひとがはびこるのは、正直しょうじきでも、勇気ゆうきのある人ひとが、少すくないからなんですね。」
「そのとおり、たとえば、横暴おうぼうの殿とのさまがあっても、まわりのものは、にらまれるのをおそれて反対はんたいしない。そればかりか、気きが弱よわいところから、いっしょになって、善人ぜんにんをいじめるということになるのだ。昔むかしとかぎらず、それが、いままでの世よの中なかのありさまだった。」
「叔父おじさん、どうすればいいとお考かんがえですか。」と、僕ぼくは、急きゅうに胸むねがあつくなって、叫さけんだのでした。
叔父おじさんは、しばらく、だまって、考かんがえておられた。むずかしいことをいっても子供こどもにわからないと思おもわれたので、なにか適当てきとうな答こたえをさがし出だそうとされるふうにもとられるのです。
「いま君きみは、佐倉宗吾さくらそうごといったから、それでいい。ああいう正ただしい人ひとが、ただ一人ひとりだったから、あんな最後さいごになったが、でも、一人ひとりの力ちからが、どんなに大おおきかったかわかるだろう。もしあのような人ひとが、十人にん、二十人にんとあったらどうか、そして、百人にん、二百人にんとあったら、もはやいかなる悪わるい、また暴力ぼうりょくをもつやからにたいしても恐おそるるに足たらぬと考かんがえないかね。これを見みても、一致ち協力きょうりょくする以外いがいに、世よの中なかを明あかるくする道みちはないのだよ。」と、叔父おじさんは、いわれた。
こう聞きいたとき、僕ぼくの頭あたまの中なかへ一ひとすじの金色きんいろの明あかるい光線こうせんが、天てんからさしこんだような気きがしました。
「いままで、運命うんめいといって、あきらめたことも、協同きょうどうの努力どりょくで、征服せいふくすることができるんですね。」
「そうだ、真理しんりに奉仕ほうしする、野口英世のぐちひでよのような人ひとが出でれば、これまで発見はっけんの困難こんなんとされた病菌びょうきんとたたかって、人間にんげんを死しの恐怖きょうふから、解放かいほうするであろうし、そういう科学者かがくしゃが幾人いくにんも出でれば、どれほど、世界せかいを明あかるくし、人類じんるいを幸福こうふくにみちびくかしれない。」
こう、叔父おじさんは、おっしゃったのでした。なんで僕ぼくはこの言葉ことばに深ふかく感激かんげきせずにいられましょう。
「よくわかりました。」と、頭あたまを下さげて、立たちかけると叔父おじさんが、
「君きみは、将来しょうらいなにになるつもりか。」と、聞きかれました。僕ぼくは、そくざに、
「社会改革家しゃかいかいかくかになります。」と、答こたえた。
「えっ?」と、叔父おじさんは、聞きき返かえされた。
僕ぼくは自分じぶんでも、すこし感情かんじょうを露骨ろこつにあらわしすぎたと気きづいたので、
「科学者かがくしゃになります。」といった。
「また、遊あそびにおいで。」と、叔父おじさんは、やさしくいわれたのでした。

轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

热门TAG: